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「当たり前に過ごす時間を少しだけ大切に」震災15年 中学1年で被災 原発事故で母校を追われた少女「震災経験乗り越えるのは無理」語り部として記憶を未来へつなぐ #知り続ける

■なにもない母校「原発事故さえなければ」

浪江中学校跡地

そして一番訪れたかった場所が―。

夫・拓哉さん:
「校舎はどこなの?」

高木舞さん:
「校舎はここに。なにもないね」

当時通っていた浪江中学校跡地です。

原発事故の影響で、2021年に閉校し、校舎も取り壊されてしまいました。

夫・拓哉さん:
「地震で倒壊したりしていないんでしょ?単純に人がいなくなったから?」

高木舞さん:
「人がいなくなったというか、原発(事故)で入れなくなったから(閉校になった)。原発(事故)がなかったら普通に通っていた」

高木舞さん:
「普通は校舎があって、私はあの何階の教室で授業を受けてという会話ができるかなと。そういうのも全然できないのは寂しいですね、悲しい。原発(事故)がなかったらっていうのは思いますね。震災だけだったら。この辺は津波があった場所ではないので」

夫・拓哉さん:
「15年たったから、今が節目だから思い出しているわけだけど、何年たっても忘れないようにしていく、勉強し直すことは必要」

■会えない親友「また学校でね」最後の会話

中学の親友と舞さん(左)(提供:高木さん)

高木舞さん:
「入学式に撮ったんだよ」

この場所で撮った「忘れられない写真」があります。

高木舞さん:
「(その写真は?)浪江中学校の入学式の日に親友と一緒に撮った2ショットです。親友とは家が隣同士だったので、幼稚園年長からずっと一緒に過ごしてきたけど、小学校6年間は同じクラスになることはできなくて。(中学1年に同じクラスになれて)念願だったので、早く同じクラスになれたらいいねと言っていたので、やっとだと思ってうれしかった」

しかし、一緒に過ごす学校生活はわずか1年だけでした。

高木舞さん:
「その親友とは3月11日に一緒に役場まで避難をしていて、放課後の延長線上の会話というか、びっくりしたねなんて言ってて。私は弟と一緒に家に戻ることになるけど、親友はそのまま役場で母の帰りを待っていて、私帰るねって、また学校でね、気をつけてねって言ったのが、最後の会話」

舞さんは仙台に避難。親友はその後、群馬県に避難したという連絡が1度来たきりで、連絡がとれなくなってしまいました。

高木舞さん:
「彼女が今どこで何をしてるのかも分からないですし、成人式にもその子の姿はなくて。会いたいけど会えない。本音を言うと私が最近結婚したので結婚式にも来てほしかったとか、スピーチをしてほしかったという思いはあります」

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長野放送ニュース

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