■「震災経験、乗り越えるのは無理」

仙台の学校に通う舞さん(提供:高木さん)
翌日、原発事故を受け浪江町も「全町避難」の対象に。
舞さん一家は、福島市など避難先を転々と変え、最終的に、親族がいる仙台に避難しました。
高木舞さん:
「よく分からないまま、とりあえず私は当時の部活で使ってたエナメルバッグにジャージと筆記用具を入れて、すぐ戻ってこられると思っていたので、それぐらいの身軽な装いで車に乗り込んで」
一時的だと思っていた避難生活。
震災の影響が明るみになるにつれ、長期化の様相を呈し、舞さんも仙台の中学校へ転校することに。
慣れない環境―
友達のいない寂しさ―
高木舞さん:
「子どもながらに両親の前では泣いちゃだめだって思っていたのか、(登校時)母が玄関まで見送ってくれるんですけど、そこから学校に向かう間で泣きながら学校に行くとか。地震があったとしても原発(事故)さえなければ、被害は大きいけれど引っ越す必要も避難する必要もなかったので、そこはどうしても思っちゃうところ。原発さえなければ」
浪江町に戻ることはかなわないまま、仙台で高校卒業を迎え、その後は東京の大学に進学し、就職。
2023年に岡谷市出身の拓哉さんと結婚しました。
15年が経ち、生活は大きく変わりましたが、「あの日」の記憶は変わらないままです。
高木舞さん:
「気持ちはずっとあの頃のままあるので震災と向き合うか、正直、向き合うというよりは、受け入れながら生きていく。乗り越えるという言葉は私はあんまり好きじゃなくて、無理なんですよね。もう過去は変えられないし、なんとか受け入れてこれからも生きていく、が私の答え」
■夫と初めてめぐる「思い出の場所」

夫と「新町商店街」を訪れる
2026年2月、舞さんは「思い出の場所」を見てもらおうと、夫・拓哉さんと一緒に浪江町を訪ねました。
高木舞さん:
「すごくスカスカに見えるけど、当時はお店がびっしり連なっていて」
夫・拓哉さん:
「どこまで商店街だったの?」
高木舞さん:
「ここからあっちまで新町商店街」
やって来たのは町の中心部にある「新町商店街」。
震災前は舞さんの父の会社や、祖父母の家があった場所で、商店街を歩けば顔見知りばかり。地域の祭りの会場でもあり、友達と一緒に参加したことが忘れられないと言います。
高木舞さん:
「こんなに視界が開けている場所じゃないので、もうお店がビチビチにあったから。向こうに小さいスーパーもあって、おばあちゃんにお使い頼まれて、野菜買ってくるとか」
震災前、2万1000人以上が浪江町で暮らしていましたが、今はまだ1割程度しか戻ってきていません。商店街は、震災の影響でほとんどの店が移転や閉店してしまい、当時の面影はありません。
しかし、舞さんにとっては「ふるさとの象徴」です。
高木舞さん:
「(拓哉さんに)震災前の商店街の活気を知ってもらえたらよかった、田舎の良さというか」
震災前の「思い出の場所」を夫婦でめぐるのは、初めてのことでした。

