YouTube X Instagram

81年前、子供たちも爆弾を作った... 信州に疎開の陸軍の秘密機関「登戸研究所」 本土決戦になれば住民巻き込み多大な犠牲が 終戦後には校庭で爆発も 貴重な資料を受け継ぎ戦争の記憶を次世代につなぐ 

■校庭で大爆発 終戦後も残った危険

校庭で爆発が...(イメージ)

8月15日の終戦とともに上伊那に疎開していた研究所も閉鎖され、大量の文書や器具、薬品などが焼却されたり埋め立てられたりして処分されました。

残されていた毒入りのチョコレートを子供が誤って食べてしまい、医者に運ばれる騒ぎになったり、中沢国民学校の校庭に埋めた資材などが突然大爆発し、100メートル程離れた校舎のガラス窓が割れたりしたという証言が残っています。

■高校生が掘り起こした地域の歴史

赤穂高校「平和ゼミナール」の活動(1989年)

時の経過とともに登戸研究所のことが次第に忘れ去られる中、終戦から40年以上経った1989年、赤穂高校(駒ヶ根市)の「平和ゼミナール」が地域の歴史を掘り起こそうと調査を開始しました。

顧問の教師の木下健蔵さんと生徒が元将校などの証言を集め、研究所に光を当てました。

生徒たちが集めた500点にのぼる資料は明治大学で保管されていましたが、資料館の受け入れ態勢が整ったことで、2025年に駒ヶ根市に移されました。

■夏休み講座で「戦争」を学ぶ子供達

夏休みの特別講座

8月7日、駒ヶ根市の登戸研究所調査研究会が夏休みの子供達に向けた特別講座を開きました。去年に続いての開催です。

「大きいんです、直径10メートルの風船です」。

登戸研究所調査研究会  松久芳樹事務局長:
「米軍の侵攻作戦が、大本営の移転する長野を焦点にどんどん進むだろうと、それがだんだん分かってきたからこの地域の作戦を強化したんです」

中学生:
「当時、地域の人はどういう風に受け止めていたんでしょうか?」
松久さん:
「戦争に協力するのが当たり前、そんな風潮になっていたんです」

講座に参加した子供たちに聞きました。

小学2年生:
「昔の戦争のことを学びました。昔のものも初めて見てびっくりしました」

中学1年生:
「自分の住んでいる地域も戦場になる可能性があったというのは衝撃だった」

上伊那地域に登戸研究所があった当時のことを直に知る人が減る中、研究会では、「次世代への継承」に力を入れています。

登戸研究所調査研究会  松久芳樹事務局長:
「自分たちのふるさと、生まれたところにどういう歴史があったのか私たちは直接伝えたい。そのためにこの資料館があればいいと考えています。

  • facebook
  • twitter
  • LINE
長野放送ニュース

最新記事はこちら

こちらもおすすめ

記事一覧へ