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亡き祖母を思い 盲学校17歳“感謝と自立への誓い”メッセージ 弁論全国大会へ「成長した姿を見せたい」

■失敗の連続…いつも祖母の顔が

寄宿舎の部屋

清水さんは中学から松本盲学校へ。生まれ育った茅野市を離れ、寄宿舎で生活しています。

清水冴恭さん:
「(自分の)部屋です。どうにか(片付け)しました(笑)」

自立のため掃除や洗濯なども行う

部屋の掃除や洗濯は自分で。自立への訓練です。

初めは失敗の連続でした。

清水冴恭さん:
「音声時計なんですけど、ポケットに入れていることが多くて、それで洗濯してしまって、防水じゃない時計なので壊れたっていう」

失敗を重ねながら、段々と身の回りのことができるように

寄宿生活のハードルを少しずつ乗り越えていった清水さん。祖母の顔が浮かぶようになりました。

「おばあちゃんに感謝」・清水冴恭さん:
「失敗を重ねながらでも、段々と身の回りのことができるようになってきた時、その姿を一番見せたいと思う人はやはり祖母でした」

中学2年生の時、ブラインドサッカーに出合う

夢中になれるものも見つかりました。寄宿舎のルームメイトに誘われ、中学2年で始めたブラインドサッカーです。

ブラインドサッカーで人生が楽しく

清水冴恭さん(当時中2):
「ブラインドサッカーをやって人生が、楽しくなって。お互い思い合って、コミュニケーションが取れるのがいいスポーツだと思います」

全日本ユースの強化選手に選ばれる

必死に練習を重ね全日本ユースの強化選手に選ばれるまでになりました。

その時もやはりー。

「おばあちゃんに感謝」・清水冴恭さん:
「パスを回している時、シュートを決めた時、いつも『おばあちゃんが見てたら、なんていうかなあ』と思っていました。そして、その日はそう遠くない未来に必ずやってくると信じていました」

■感謝と自立への誓い

インタビューに答える清水冴恭さん

しかし、強化選手に選ばれた4カ月後の2020年6月、冨士子さんが亡くなりました(享年77)

入退院を繰り返していたと言います。

清水冴恭さん:
「その場にいないことが想像できないというか、受け入れるのにすごく時間がかかりました。活躍しているところを見てもらいたいっていう夢が、終わってしまったんじゃないかと思った時に、涙が出てきました。かなえられなかったじゃん、って」

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