
絵絣はかすれた色味が美しい
絵絣とは、織る際に糸を染めていない部分で絵や文字を浮かび上がらせる技術。インドで生まれたとされ、日本には1300年代に沖縄に伝わり、江戸時代後期、全国へと広がったとされる。
その美しさに魅了された窪田さんは仕事を辞め、著者の織田さんに弟子入り。アルバイトをしながら基礎を学んだ。

千曲市に念願の工房
その後、紹介された岡谷市の織物工場で数年間、修業。1976年、35歳のときに、地元・千曲市に念願の工房を開いた。
しかし、順風満帆とはいかなかった。
■独立も苦労の連続…

「種糸」
完成までに手間のかかる絵絣。
デザインを起こして「種糸」という基礎になる糸に墨で転写する。

墨を頼りに行う「括(くく)り」の作業
その墨を目印にビニールひもで縛り、色を抜く部分を作る。この作業を何千回、何万回と繰り返して染め、最後に織り合わせる。
作品によっては数年かかるものもあるという。

1993年取材
染織作家・窪田孟恒さん(82):
「独立しても何年かは絣なんてとても織る段階ではなくて、岡谷の師匠の無地帯を織らせてもらって、それで生活をして」
織物自体の需要が低く生活に追われて、絵絣を作る余裕はまるでなかった。
■「アンズと出会い、救われた」

切り株の断面
仕事に限界を感じるようになった40歳を過ぎたころ、2回目の転機が訪れる。
染織作家・窪田孟恒さん(82):
「にっちもさっちもいかなくなってもうだめだろう、やめようといったときに(アンズの)切り株の(断面が)すごくきれいだったんですよ。赤茶色の好きな色で『染めてみるかな』ということで」

あんず染めの織物
目に留まったのはアンズの切り株。試しに草木染めの技法で染めてみると―。
染織作家・窪田孟恒さん(82):
「1回目は幹のような濃い色は出なくて、『サーモンピンク』というか、それを僕は『花』の色を連想したんです。『すごいな』と、『これは何てこった』って、思いもかけない、絣に出会ったときのような、自分の呼吸に合うような色だなと」
偶然、編み出すことができた「あんず染め」。