
半生菓子
長野県の南部・南信州では、和菓子を起源とした「半生菓子」産業が盛んで、生産量は全国トップ。お茶うけとしても親しまれている「半生菓子」。そのルーツを取材しました。
■生産量トップ!南信州の"半生菓子"

袋詰めの半生菓子(6月12日、飯田市・なみきマーケット)
スーパーなどでよく見かけるもなかや餅、マシュマロや、寒天ゼリーなどの袋詰めのお菓子。これらは「半生菓子」と呼びます。
お茶うけなどとして、食べたことがある人も多いかもしれません。
菓子は、和菓子と洋菓子のほか、含まれる水分量によって3つにわかれ、31%以上が生菓子、10から30%が半生菓子、10%未満は干菓子と呼びます。半生菓子はみずみずしさがありながら、日持ちするのが特徴です。
街の人:
「お母さんがよく茶菓子というか、お茶の時に出してくれた。(好きなのは)バウムクーヘンともなかかな」
「みんなおいしいですよ。味が、お茶うけにぴったり。飯田で作ってるって本当に驚きました。どんどん広がってくれればいい」
この半生菓子、実はその多くが南信州地域で作られているのです。
南信州の年間生産量は約2万2000トン、生産額は約160億円で全国トップのシェア40%を占めています。
■「日持ちのため」半生菓子一筋60年

「桃山」
製造企業のうちの一つが、喬木村の伊藤製菓。
1964年創業で半生菓子一筋。
現在は白あんの焼き菓子「桃山」や、もなか、餅など100種類を超える半生菓子を作っています。
伊藤製菓・手塚宏行代表:
「日持ちをさせるために半生菓子というものを作り始めたと思う。みずみずしさが欲しいんですよね。流通のスーパーやお店で売っているものは、飯田市がほとんどだと思っています」
■飯田城の藩主が「和菓子好き」

伊藤製菓・手塚宏行代表
なぜ半生菓子の製造が南信州で盛んなのか?
理由の一つが南信州に根付く菓子文化の歴史です。
飯田市街地は、江戸時代に飯田城の城下町として栄えました。
当時の飯田藩の藩主が茶の湯と、それに欠かせない和菓子に熱心であったことから、和菓子屋が増え、「和菓子のまち」として発展してきたといいます。
伊藤製菓・手塚宏行代表:
「飯田藩主がお菓子が好きだということで、京都から菓子職人を呼んで作り始めたと聞いています。その中で弟子たちが生まれて飯田地区に200軒の菓子屋があったと聞いています」
和菓子が親しまれる中、農業も盛んであったことから、日持ちのする半生菓子が求められ、作られるようになったのではといわれています。
伊藤製菓・手塚宏行代表:
「田んぼの土手とかそういうところで、お茶菓子をみんなで寄って食べたところから(半生菓子が)始まっていくと、日持ちするお菓子が欲しかったんじゃないか」

