■人生で一番働いた長野五輪

多くのピンバッジ
ただ、長野にはその後、ビッグイベントが。
田中正之さん:
「昔、あそこに岩山があったの知っている?『仏閣』があってね。その次はセンターあたりに入り口があって」
1997年、長野新幹線が開業。
仏閣型の駅舎も建て替えられ街は移り変わっていきます。
そして1998年、長野五輪。
田中正之さん:
「一番、人生で働いたというと、長野五輪ですね。(当時は)12時からオープンして、お昼、その時間帯は日本人と外国人の混合でお店がいっぱいになるくらい。大体60人くらい入ってきて、午後11時くらいまでずーっといっぱいです。私の五輪はお店だったんですよ、他に出られないから」
今でも店には多くのピンバッジが飾られています。
■五輪で磨いた接客英語

インバウンド客に英語で接客
田中正之さん:
「I have Japanese lunch menu. Please looking」
現在、インバウンド客が増える中、長野五輪の時に勉強した英語が役に立っています。
田中正之さん:
「Taste?」
客:
「Good very good !」
田中正之さん:
「ビジネス英語です、最低限のレストランの。最低限のことはやらなくちゃいけないというところからスタートした」
■地元食材で生き残る

信州サーモン丼(1050円)
さて、長野五輪が終わると客足は減少傾向に。
そこで力を入れ始めたのが、信州サーモンやジビエなどの「地元の食材」です。
田中正之さん:
「われわれが生き延びるためには料理メニューとかね、いろいろ研究して。大きい大型チェーンとか来るにあたって、ここだけの独自なものをということで食材を考えたり」
「信州サーモン」は県内でもいち早く取り入れました。
県からもアピールに力を入れたとして感謝状が贈られたそうです。
■コロナ禍の危機と新たな挑戦

信州門前ベーカリー蔵(長野市)2021年撮影
平成から令和の時代へ。
店に最大の危機が訪れます。
「コロナ禍」です。
店を維持するためにテイクアウトメニューに力を入れ、さらに、2021年には善光寺門前にあえて「パン店」と「カフェ」を新規オープン。
「挑戦」を続けました。
田中正之さん:
「やめたって言えれば一番、楽だと思った。何もやらなかったらそこで終わり、止まっちゃう。常に前向きに少しずつ、少しずついけるところまで行くのが大事」
そして、今、店は以前のようなにぎわいを取り戻しつつあります。
コロナ禍が終わり客足が戻ったこと、そして、パン店も軌道に乗ったことで店を守ることができました。
田中正之さん:
「にぎやかになって人の声、『おいしかったよ』とか聞くとうれしいというか、本当に良かったです」

