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【戦後80年】“遺書”に「自由の勝利は明白」敗戦予見し特攻へ…22歳で戦死の上原良司の思いたどる高校生「SNSが人々の分断あおる危険も、二度と戦争を繰り返さない」#戦争の記憶

上原家(上原幸一氏所蔵)

笑顔あふれる家族写真の数々。上原良司と家族です。

上原家を10年以上調査してきた都倉教授は―

都倉教授:
「特攻で亡くなった方っていうのは『特別な人』というか、特に良司は『すごい人』っていうようなイメージ持たれてるように思うんですけども、生身の人間としての良治を知ると、遺されている『文書』の見方が変わってくるんじゃないかなと思うんです。さらに上原家を知ることによって、より広い目で戦争を考えてもらいたい」

きょうだいで「父サン頑張レ」(中央が良司・上原幸一氏所蔵)

笑顔の5人きょうだい。真ん中が三男の良司です。

手に持ったカードを読むと「父サン頑張レ」のメッセージ。
1938(昭和13)年、中国に軍医として出征した父を励まそうとカメラが趣味の長男・良春が企画したものです。

一方、ユーモラスな絵が描かれているのは、次男・龍男の手作りカルタ。きょうだいで遊んだのでしょうか?戦前の上原家が、医師の父親のもと文化的で豊かな生活を送っていたことが分かります。

慶応大学に進学した良司(上原幸一氏所蔵)

1941年、良司は2人の兄と同じ慶応大学に入学しました。

都倉教授:
「こちらは昭和16年12月8日の日付で、真珠湾攻撃の時に、大興奮でみんな盛り上がってるっていう様子が生き生きと書かれてる」

入学後の12月に真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まりました。軍国教育を受けてきた良司はクラスメイトと同様、臨時ニュースに歓声を上げました。

陸軍に入隊した良司(上原幸一氏所蔵)

しかし戦況が悪化し、2年後の1943年、「学徒出陣」で陸軍に入隊。理不尽な暴力や訓練に疑問を抱くようになります。

特別操縦見習士官時代の日誌には―

上原良司の日誌:
「目的のない事をやるのは愚の骨頂」

上官のコメント:
「貴様は上官を批判する気か!」

都倉教授:
「自分は何のために戦わなければいけないのか、あるいはもしかしたら死ななければいけないのかっていうようなことに対して、悶々といろいろ考えるようになっていく。そういう中で自由主義っていうようなことを書きつけるようになってくる」

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長野放送ニュース

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