
「いろは堂」のおやき
特集は挑戦を続けるおやき店です。長野市のおやき専門店「いろは堂」が創業100年を迎えました。和菓子店から始まった店の歴史。ふりかえると、いつも「チャレンジ精神」がありました。
■成長の裏にさまざまな挑戦

「いろは堂」鬼無里本店
柔らかい生地の中に、たっぷりの具が詰まったおやき。
諏訪から:
「すごくおいしいです。具がたくさん入ってるので気に入ってます」
長野鬼無里に本店を置く「いろは堂」のおやきです。店は2025年、創業100年を迎えました。

いろは堂 三代目・伊藤宗正会長
いろは堂 三代目・伊藤宗正会長:
「がんばってがんばって」
従業員に声をかけるのは、現会長で三代目の伊藤宗正さん(69)です。
いろは堂 三代目・伊藤宗正会長:
「あっという間の100年だったんだろうなと。ひとつの通過点でしかないのかもしれませんが、これからまた次の世代にバトンタッチして頑張っていけたらいいのかなと思う」
販売店の他、おやき作りの体験施設も持つ「いろは堂」。成長の裏にはさまざまな挑戦がありました。
■学校給食用のパンを製造

二代目・幸嘉さん
いろは堂は大正14(1925)年、小川村で創業しました。村内の和菓子店で修業した初代・頼直さんが「のれん分け」で始めました。
最初の転機が訪れたのは戦後の二代目・幸嘉の時代です。
いろは堂 三代目・伊藤宗正会長:
「親父(二代目)が戦争から帰ってきて、小川村からこの鬼無里にいろいろ菓子を積んで店に卸していた。そういうことがきっかけで鬼無里の方から声をかけていただき、小川村から鬼無里に移り住んで学校給食のパンを中心にスタートしたのが鬼無里との縁だったと聞いております」

当時の店舗
幸嘉さんは1954年、隣の旧鬼無里村に店を移転し、需要が高まりつつあった給食用などのパンの製造を始めました。
しばらくは良かったものの、大手メーカーのパンに押され、陰りが見え始めます。
■パン屋から生まれた「おやき」

奥裾花渓谷のミズバショウ
すると、2度目の転機が―。
1964年、奥裾花渓谷でミズバショウの群生地が見つかります。鬼無里を訪れる観光客に「地元の味を」とおやきを振舞ったところ、これが好評。当時、おやきは家庭で作るものと捉えられていましたが、1973年、思い切って商品化しました。
いろは堂 三代目・伊藤宗正会長:
「一般家庭ではその当時、蒸したおやきが主流になってきて、いろは堂としては焼くことに命を懸けていたというか、パン屋だったからこそ、焼きに力を入れて焼いたおやきが出来上がったと聞いている」