
寮母を務めた壬生智子さん(1998年)
壬生智子さん(1998年):
「主人と一緒にただ勝ちたい、その一心だった。こういうこと(自宅兼寮)しないと、いい選手が集まってもらえないので、強くなるにはこうやって自分のところに預かってやるしかないな」
■「私生活の乱れがコートに」と指導

松本国際男子バレー部員を指導する壬生裕之 監督
2018年に義文さんに代わって、松本国際の監督となった長男の裕之さん。
長男・壬生裕之 監督:
「誰にもできないことをやってたんだなと常々感じる、すごいなと思います。僕がインターハイ優勝したのも父が何度も優勝したのも半分はおふくろのおかげだと思っている」

岡谷工業時代、父・義文さん(右)に指導を受ける裕之さん
岡谷工業のバレー部員だった頃は体育館では父・義文さんに、自宅兼寮では母・智子さんに指導を受けた一人です。
智子さんは、部員たちの食事や健康の世話だけでなく生活面も厳しく指導したと言います。

寮母として部員たちから慕われた壬生智子さん(1999年)
長男・壬生裕之 監督:
「(母は)私生活の乱れの部分がコートに出てしまうという考え方。競技を通じて『ちゃんと人間性も』と思っていたので寮に生活の部分に関して厳しくやってた」
■2024年1月、帰らぬ人に

食堂に飾られる寮母・智子さんの写真
厳しくも愛情を持って部員たちと接してきた智子さん。2024年1月、車で買い物に出たまま、帰らぬ人となりました。
長男・壬生裕之 監督:
「買い物に行って帰りの運転中に脳動脈瘤が破裂して、そのまま意識が戻らず。一番最後に話したのは親父だったみたいで、『行ってきます、お父さん行ってくるね』と、普通に何気ない日常だったみたいで」
■天国から見てくれている

3年生・山田選手
突然の別れに部員たちはー
2年生・勝山敬太 選手:
「(試合中)『勝山やれよ』とか後ろから言ってもらえたので、背中を押してもらったけど、おばちゃんがいない中で後押しがなくて寂しい気持ちがありました」
3年生・山田丈琉 選手:
「自分たちが今年は(県大会)勝ったよって心の中で伝えました。寂しい気持ちもあるけど天国からおばちゃんが見てくれていると思って頑張りたい」
■おばちゃんへの思いが結束力に

バレー部の練習
小林キャプテンは「おばちゃん」への思いがチームの結束力を高めていると感じています。
3年生・小林智哉 主将:
「おばちゃんが亡くなってしまって、それによってチームの結束力が上がったのもあるし、いないからこそ自分たちでやらなきゃいけないというのは大きくて、おばちゃんのためにというのは一番大きかったです」