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「太陽ギラギラの中…」 終戦から79年 忘れられない炎天下の作業 内陸に計画された幻の「海軍飛行場」 14歳で動員された男性が証言 「本土決戦」「特攻」…浮かび上がる戦争末期の信州 

松代大本営地下壕

明治大学・山田朗教授:
「戦力の温存イコール海軍の政治的な発言力の源にもなるわけです。本土決戦においては陸軍が海軍を吸収してしまおうという考えが具体化して海軍は警戒していました。航空基地を作って最後の最後まで航空作戦をやることで、陸軍に対する発言力を維持していくという政治的な駆け引きの意味もあったと思います」

■14歳で滑走路の建設に従事 93歳が今、思うことは

現在の飛行場予定地の様子(佐久市)

終戦の翌年、小林さんは教師を目指して長野師範学校へ入学。

戦時下から一転、自由に勉強ができる喜びは何ものにも代えがたいものでした。

小林収さん:
「あぁ、民主主義っていうのはいいもんだなと思った。本も本当のことが書いてある。私たちが戦時中に学んだ歴史は本当のことが何にも書いてない。学校の帰りに図書館に寄っては本を見てた。ああ、これが自由っていうもんだなぁって」

その後、教壇に立った小林さんは地理などを教え、退職後は地元の佐久地域の歴史を研究してきました。

今も長野県内各地に残る戦時中の飛行場の記憶。

小林さんはそうした記憶を見つめることが大事だと話します。

小林さん:
「自然を良く理解して、日本の歴史を理解してその上でこの佐久という地域、日本という地域をどうしたら良い国にしていくんだ、っていうのが私の専門の地理学であると思います」
「やっと何十年も経ってわかった、そういうことを一人ひとりが考えていくことが日本の国を良くすることだと思うんです」


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