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【戦後78年】壮絶な「集団自決」満蒙開拓の悲劇 “記憶”つなぐ高校生ガイド 少しずつ育つ若い伝え手

松川高校ボランティア部部長・小田切彩風さん

特集は記憶の継承です。長野県阿智村の満蒙開拓平和祈念館で、苦難の歴史を伝えてきた語り部たち。高齢化が一段と進む中、高校生が「ガイド」として記憶をつなぐ役割を担い、新たな希望となっています。

■記憶の継承 次世代の「伝え手」

元開拓団員・原千代さん(左から2人目)

阿智村の満蒙開拓平和記念館。先日、慰霊祭「鎮魂の夕べ」が開かれました。

戦後78年―。
元開拓団員の参加者は年々、減っています。

元開拓団員 豊丘村在住・原千代さん(89歳):
「昔と変わらぬような、今、物騒な世の中ですね。早く平和になってくれなければ、生きてる価値がない」

松川高校ボランティア部の展示ガイド

一方、若者の姿もー。

松川高校ボランティア部のメンバーです。この日、慰霊祭に先立ち練習を続けてきた「展示ガイド」をしました。

展示ガイド・松川高校ボランティア部員:
「(敗戦後)亡くなった8万人のうち7万人はチフスや栄養失調によるものです」
「今は着る物も食料も住む家もあります。そんな私たちには想像ができない暮らしを送っていました」

満蒙開拓の記憶をつなぐ高校生たち。次世代の「伝え手」として期待が寄せられています。

■苦難の歴史を伝えてきた語り部たち

2020年取材 元開拓団員・久保田諫さん(享年93)

旧満州・現在の中国東北部に渡った「満蒙開拓団」。国策として、全国で27万人、県内からは全国最多の3万3000人が送り出されました。

悲劇が始まったのは終戦間際の夏。ソ連の侵攻に加え現地住民の攻撃もあり、8万人もの命が集団自決や過酷な収容所生活で失われました。

開館10年の節目を迎えた記念館は、満蒙開拓の苦難を伝える国内唯一の施設。大きな役割を果たしてきたのが元開拓団員の「語り部」たちです。

久保田諫さん(2020年講演):
「空に向けて拳銃を打った。そのとたんに周りに集まった原住民が鬨の声を上げて暴動が起きた」

語り部だった久保田諫さん。豊丘村出身で14歳の時、一人で満州に渡りました。
ソ連侵攻後の逃避行の中、久保田さんたち団員は集団自決の道を選びます。

久保田諫さん(当時):
「親が(子どもの)首を絞めて、久保田さん手伝ってくださいよと。(仲間同士で)肩に手をかけて殴り、交互に殴り合いを7、8回。だらんと生ぬるい血が垂れて気が遠くなって、これで死ねるだろうと」

子どもを、仲間を手にかけた凄惨(せいさん)な記憶。

奇跡的に生き残り、帰国を果たした久保田さん。後悔と自責の念から語り部となり、体験を伝えてきました。

元開拓団員・久保田諫さん(当時):
「なんでこんなことに悲しい思いをするのかと考えると、『戦争』だと。今後、戦争が絶対に起きないようにと、みんなに体験を聞いてもらおうと」

今年6月に死去、享年93。

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