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走るのが嫌いだった少年が世界王者へ 渡部暁斗、長野五輪との出会いから世界レベルへ飛躍 半ば強制的に続けたクロスカントリーがもたらした“世界の頂点”  直感と適性が交差した物語 #2

■「何で走るんだろ」強制的に複合を

ジャンプ選手を目指していた渡部ですが、本州の各都道府県では、中学生までスキークラブに所属すると、複合競技の大会にも必ずエントリーしなければならないという慣習がありました。

長野、新潟、秋田、岩手といった県では、ジャンプと複合の大会両方への出場がマストだったのです。

北海道だけが幼少期から競技を選択できたという点で、「北海道いいなー、なんで俺たち走らされてんだろうっていう感じだった」と渡部は苦笑します。

実は現在、ジャンプ界で活躍する岩手県出身の金メダリスト小林陵侑選手も、高校までは複合の大会に出場していたというエピソードを渡部は明かしました。

「いやいや大会に出てたんですよ、彼も」と言うほど、本州のスキー少年にとって複合は半ば強制的な競技でした。

しかし後に、渡部はこの経験が「クロスカントリーの板というスキー操作の難しさを身につける上で間違いなくプラスだった」と振り返っています。

■「好きな道」より「適性を取った」

 

ジャンプの大会ではなかなか1位になれない一方、複合の成績がじわじわと向上し始めたのは中学に入ったころです。

そして中学3年生の時、複合の成績がジャンプの成績を上回り始めました。

全国中学大会でも2位という結果を出すまでになっていました。

「好きな道に進むか、適性のあるほうに進むかで、適性を取りました」と渡部は静かに語ります。

走ることは嫌いでしたが、身体的にはクロスカントリーにも向いていたのです。

高校に上がれば15歳から競技選択が自由になるため、「ようやくジャンプ選手になれる」と思っていた渡部にとって、この決断は当初の夢を手放すことでもありました。

しかし「ジャンプで世界に行く」という目標は変わらず、舞台がノルディック複合に移っただけで、「ワールドカップという舞台で戦い続けるっていうのは、なんとなく競技を変えても思っていた」といいます。

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長野放送ニュース

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