
渡部暁斗
「走るのは嫌いだった」ノルディック複合の渡部暁斗は、笑いながら振り返ります。スキージャンプへの強い憧れを持ちながら、半ば強制的にクロスカントリーも続けなければならなかった少年時代。最終的にはその「嫌いだった」要素こそが、彼を世界の頂点へと押し上げることになります。白馬村に生まれ、長野オリンピックに心を動かされ、驚異的なスピードで高校生でトリノオリンピックへと飛び込んだ渡部の軌跡は、計算ではなく、直感と適性が交差した物語でした。
■2、3歳で初スキー 原点は白馬村

左:渡部暁斗(当時7歳) 渡部暁斗インスタグラムより
渡部がスキーと出会ったのは、記憶に残る以前のこと。
「2歳か3歳か、ちょっとその正確な年齢は分からないけど、両親に連れられてスキー場に行って、滑っているのか滑らされているのか分からないような」状態からスタートしたと笑います。
育った長野県白馬村は、世界的に見ても有数のスキーリゾートです。
アルペン、クロスカントリー、ジャンプと、あらゆるスキー競技に対応した最高の環境が揃っています。
渡部自身、「白馬っていう村自体が、世界的に見ても有数のスキーリゾートで、どんなスキー競技をやるにしても素晴らしい場所」だと話します。
その土地への誇りと、同時に「代表するプレッシャー」の両方を背負いながら、渡部はスキーヤーとして育っていきました。
■長野五輪が10歳の少年に火をつけた

スキーに本格的な情熱を持ち始めたのは10歳のこと。
小学校3年生の冬に、地元・白馬村で開催された長野オリンピックを現地で観戦しました。
猛吹雪の中で見た日本スキージャンプチームの団体戦、そして金メダルの瞬間が、幼い渡部の心に深く刻まれました。
「6大会出たけど、あそこまでの盛り上がりは多分ない」と渡部は振り返ります。
小学生の肌でも感じ取れるほどの熱気が会場を包んでいました。
その興奮冷めやらぬまま翌春、渡部は白馬村スキークラブの募集チラシを学校で見つけると、親に「ジャンプをやりたい」と申し出ました。
しかし母親はジャンプの大ファンであるがゆえに、「危険なスポーツと知っているし、自分の趣味の領域に入ってきてほしくない」という複雑な思いを持っていました。
「ほんとにやるの、もうちょっと考えて」というやり取りを3、4回繰り返したあと、ようやく許しを得たといいます。

