■反対乗り越え…神聖な山を拓く

八方尾根にリーゼンスラロームコースの夢を描いた先駆者 福岡孝行
疎開した孝行の家には、地域の若者たちが集まるようになった。孝行はスキーの魅力と、コース開発の構想を熱心に語り続けたという。しかし、その実現への道は決して平坦ではなかった。
「白馬・山とスキーの総合資料館」館長で、生前の孝行からスキーの手ほどきを受けた三枝兼径さんは、当時の状況をこう振り返る。
「当時としてみれば長老たちは大反対で、山は神聖なものであると。神のものであって、大きな木とか、そういうものも生活に大変関係深いものであった」
信仰と生活の基盤として深く根付いていた山を、よそ者が拓くという構想は、地域社会に強い抵抗を生んだのだ。それでも孝行と若者たちは諦めなかった。一軒一軒訪ねて説得を重ね、ついに計画が動き出した。
三枝さんはその精神をこう称える。
「ナタを持って切り拓いていったという、そういうくらい地元の人たちの情熱はフロンティア精神があって。だから今も私たちはリーゼンスピリットってよく言いますけど、そういう意気込みが大切だと思います」
■手弁当で切り拓いたコース

1947年3月 第1回リーゼンスラローム大会の様子
1946年、戦後の開放感の中で、地域の若者たちは手弁当でリーゼンスラロームコースを切り拓いていった。その喜びを、孝行は後に「翔心」(しょうしん)という詩に綴っている。
「しろうまの美わしき地に/むらびとの心ひとつに/若人男女力あわせて/天かけるしろうまのごと/スキー駆るコースを拓く/南は大町 北は小谷/アルプスのふもと/相よらいて/リーゼンスラローム開く」
こうして尾根の麓、標高800メートルの名木山から、標高1400メートルのうさぎ平を経て、標高1680メートルの黒菱平まで、全長4500メートルに及ぶ長大なリーゼンスラロームコースが完成した。
そして、1947年3月、第1回リーゼンスラローム大会が開催された。ドイツ語で大回転を意味するリーゼンスラローム。自然の地形を大事にしながら大雑把に滑るということで、孝純さんの言葉を借りれば「自然に合った形でする競技」として、孝行がその名称をあえてドイツ語のまま使うことを選んだ競技だった。

