■氷上に着陸した「文明の利器」

凍った湖上に飛行機が着陸
時は流れ、1917(大正6)年の記録。諏訪湖の氷は厚さ30センチに至り、御神渡りが出現。
その時、湖に現れたのは―。
宮坂宮司:
「所沢陸軍航空飛行隊、飛行機2台を持って同将校数名来す、相成」
陸軍の飛行試験で、凍った湖上に飛行機が着陸。物珍しかった飛行機は「文明の利器」と表現されています。宮坂宮司は後に、地域の住宅などから当時の写真を見つけました。
宮坂清宮司:
「一般人民は観覧のため、数万の人出、飛行の試験は良好」
時は第一次世界大戦で好景気に沸いていた頃。写真からは、記録通りの活気が見て取れます。
宮坂清宮司:
「(注進状は)食べるものばかりじゃなくて、その時の国の状況を加味して、世界情勢、戦争がどうとか、そういうことがいっぱい書いて、本当に記述多い」
■温暖化?「明けの海」が多発

「御渡注進録」について話す宮坂宮司
そして、令和8年、今季の記録。「注進状」には「大阪・関西万博開催」、「令和の米騒動」、「古古古古米」、「農産物の価格高騰」などが記されました。
500年以上前から諏訪の人々の営みとともにあった「御神渡り」。ただ、ここ数十年で大きな変化が起きています。「明けの海」の多さです。
かつて10年に1度程度でしたが、1951年以降は76回中41回と半数以上となっています。地球温暖化の影響が指摘されています。
500年以上に渡って気候や気温なども記された「注進録」は世界的にも貴重な資料として注目されています。
宮坂清宮司:
「かつては半農半漁村の、今はサラリーマンの氏子総代たちが氷が張ったか張らないか、亀裂ができたかっていうことをこつこつと書きとどめていた。歴史って1年1年の点があって、それがつながっていくと線になりますよね。それをひも解いていったら、本当にいろんなことを語りかけているなって思いました」
■100年後の子孫のために

御神渡り
平和な暮らしを願い神や自然に祈りを捧げる諏訪の人々の心とともに、宮坂宮司はこれからも湖を見守ります。
八剱神社・宮坂清宮司:
「御渡りができて拝観式する、もうそれに越したことはないんです。でも、これからも先人たちが残してきたと同じようにこつこつ書き継いでいくことに意味がある。今度、僕がすべきことは100年後の子孫のためにそれを伝えていくという責務があるのかな」

