
木製プロペラの展示(伊那市創造館)
2025年は、新発見のプロペラを展示のメインに据えました。
伊那市教委・濱慎一学芸員:
「本物のプロペラと後ろの写真も本物の赤とんぼの大きさにしてあるので、こんなものがこの伊那の上空を飛んでいたんだということを実感していただける、そういうものになっていると思います」
地元の小学生:
「伊那公園の近くに飛行場があったなんて思わなかった」
「(戦争を)知っているかもしれないから昔から生きてきた家族、おじいちゃん、おばあちゃんに聞いてみたいです」
■新たに発見された貴重な写真

練習機の前に並ぶ7人の訓練生(伊那市提供)
伊那飛行場の所長を務めた男性のアルバムも、2024年に発見されました。練習機の前に並ぶ7人の訓練生。背後にはまだ建設用の足場が残る格納庫も確認できます。そして、訓練で飛び立つ直前の隊員たち。奥には、練習機「赤とんぼ」も見えます。
伊那市教委・濱慎一学芸員:
「これまで伊那飛行場に関係した方のイラストですとか、話でしか想像できなかった飛行場の様子が、本物の写真が出てきたということでどんな飛行場だったのかがはっきりと分かるようになりました」

赤とんぼ模型(伊那市創造館)
伊那飛行場は存在自体が軍事機密とされ、終戦後に資料は処分されたとみられていました。そうした中、2024年の企画展をきっかけに新たな資料が見つかり、その後も発見が続いています。
伊那市教委・濱慎一さん:
「こういった実物の資料はなくなることがないので、こういうことを通じてかつてあった戦争の事を忘れない、そしていろいろ考えてもらう、そういうきっかけになればいいかなと思っています」
■終戦を迎えた時の思い

伊那飛行場建設に従事・春日博人さん
伊那飛行場が完成した1年半後、戦争は終わりました。建設に携わった春日さんは、終戦を自宅で知りました。
春日博人さん:
「負けるとは思わなかった。『絶対勝つ』。そういう教育を叩きこまれていたからびっくりした。いよいよ明日から戦争終わってないんだなって、嬉しいような空虚な気持ちだった」
「(戦争に勝ったらどうなると教わっていた?)『日本の国は立派な国になる』(国が)そういう教育をしていた。今考えれば戦争に協力していた」
春日さんは戦後、社会科の教師に。自身の体験も交え、無益な戦争を繰り返してはいけないと教えてきたといいます。
春日博人さん:
「戦争中のことを思い出しながらやりました。戦争というものは大変ですよ、簡単に戦争はいけないって言うけど、本当に私たちは戦争を通してみてそう思う」