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【戦後80年】 幻に終わった地下壕 「本土決戦」に向け「全村動員」で着工もわずか2日で終戦 斜面を平らにした跡が今も 住民の貴重な証言が地域の歴史に光

証言する萬井さん

萬井久純さん(87)は、村の有力者で村議などを務めていた父から当時、地下壕のことを次のように聞いたと話します。

萬井久純さん:
「親父は、軍隊が来て大事な書類を入れる所だよと話していました」

■工事は実質わずか2日間 

証言する田中さん

「坂井村誌」の記述から、山秋集落での地下壕の工事は8月14日に始まったと見られ、田中頌子さんは翌15日に大勢の住民がくわを持って作業に向かうのを目撃していました。

田中頌子さん:
「15日の朝に家の前を通って何人登っていったかね、工事に行くと言って登っていきました。隊列組んでしっかり登ってというわけではなくて、もう三々五々という感じ」

「村誌」にある通り、「全村動員」で着工されたことが伺えます。

しかし、田中さんが目撃したまさにその日に工事は終わることになります。

田中頌子さん:
「玉音放送を聞くってことになって...でもラジオは良く聞こえなかったけど。さあ、それからみんなで負けただ勝っただ、負けた勝っただと... 時に終戦だなって。良くわからないからわんわんと騒ぎになって、みんな家に帰っちゃった」

「本土決戦」は幻に終わり、村が戦火に巻き込まれることはありませんでした。

■体操場で少年が見たものとは?

証言する宮下さん

当時7歳で坂井国民学校(現:筑北小学校)の1年生だった宮下幸一さんは終戦後、軍の物資を貯蔵していた体操場に友達数人で忍び込んだ際、意外な物を目撃しました。

宮下幸一さん:
「飛行機のプロペラがあった。それも木で出来た物で、あと物凄く大きいタイヤがあった。何でこんな所にあるんだろうと思ったね。田舎で飛行機なんて。飛行場も無いわけだから」 

プロペラが置かれていたことは、村誌の「海軍航空本部の地下工場を作る」という記述とも一致しそうですが、子どもたちのお目当ては別の物でした。

宮下幸一さん:
「中に黒砂糖があるってことで、みんなで寄ってたかって砕いて、少しずつ頂いていったんだ。当時は食べるものが無かったからね。もう大ごちそうだった」

■広範囲で進んでいた決戦への準備

「昭和の安茂里を語り継ぐ会」の土屋事務局長

今回の現地調査をした「昭和の安茂里を語り継ぐ会」の土屋光男事務局長は、「本土決戦」に向けた準備は想像以上に善光寺平の広範囲で進んでいたと見ています。

土屋光男事務局長:
「本土決戦の準備はせいぜい北は中野市まで、南は千曲市くらいまでと思っていましたが、中信地域の一角の東筑摩郡北部まで及ぶ壮大なものだったことがわかりました。今回の調査の一番の成果です。坂井村が選ばれたのは山の中で守りやすいこともあったのではないでしょうか」

戦後80年。住民の貴重な証言が記憶の彼方にあった地域の歴史を見つめ直すきっかけになりそうです。

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