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【戦後80年】「生き残って家族の元へ」自決前に軍医が沖縄の野戦病院「糸洲の壕」で看護していた女学生を逃がし命救う 最後の訓示「絶対に死んではならない。悲惨な戦争の最後を銃後の国民に語り伝えてくれ」

■全世界へ「戦争はいけない」

小池軍医の兄の孫 小池清志さん

小池軍医の兄の孫にあたる小池清志さん(78・佐久市)。遺骨の収集などを通じて元学徒隊員とも交流を持ちました。

小池軍医の兄の孫 小池清志さん:
「最後(自決)は軍人としてのけじめ。しかしさ、勇助じいも生きて、その辺のことをね、語ってくれれば良かったなということもね(思う)」

軍医の生涯と沖縄戦の悲惨さを知った清志さんはあの壕が戦争や命の重みを考えるきっかけの場になればと考えていました。

小池軍医の兄の孫 小池清志さん:
「戦争はいけないぞ。殺し合いはいけないぞ。そういうきっかけを、あそこから全国、全世界へ、広めていくような一つのきっかけになればいいかな」

■「平和学習に活用を」壕を整備

玉城デニー沖縄県知事と柳田清二佐久市長

そうした関係者の思いもくんで、長野県佐久市はこのほど糸洲の壕に案内板や階段の手すりなどを設置。1月30日の竣工式には、阿部知事、玉城デニー沖縄県知事も出席しました。

柳田清二佐久市長:
「(若い世代が)ほぼ同じ年齢の女学生に80年前に起きたことを知ってですね、思い深めていただける機会が、長野、沖縄の交流の中で、役割が果たせたらなと整備させていただいた」

玉城デニー沖縄県知事:
「ありがとうございます」

壕は関係者の高齢化もあって手入れされなくなり、安全面などから長く立ち入りができませんでした。そこを佐久市が修学旅行などの平和学習に活用してもらおうと整備したのです。

■「恒久に語り継げる場所に」

整備された「糸洲の壕」の中へ

佐久市から出席した清志さん。壕の中に入るのはこれが初めてです。

小池軍医の兄の孫 小池清志さん:
「真っ暗ですもんね、こんなところで大変だったでしょうね」

軍医の高校の「後輩」も出席

野沢北高校生徒会長 永井柊さん:
「話を聞いているだけでは分からない環境だったり状況が伝わってきた。今後、戦争が起こらないように、自分たちで何かできることを模索するための学習の場として活用していけたら」

竣工式に、生き延びた「ふじ学徒隊員」の姿はありませんでした。多くが亡くなり、存命している人は会話や外出が難しい状況です。

鎮魂の碑

戦後80年。関係者はこの壕にまつわる記憶が訪ねた人たちによって継承されていくことを強く願っています。

小池軍医の兄の孫 小池清志さん:
「真っ暗な中でみんなが苦労して、その中で、生きるという明るい希望を持った光がここから出ていったんだなと。勇助じいの考えは、今になると間違ってなかったよと」

「ふじ学徒隊」の娘 金城邦子さん:
「この残酷な戦争が二度と起こらないようにという思いを込めて語って帰したっていうのはね、本当に心に来ますね。恒久に、永久に語り継げる場所になって、これから活躍していく高校生たち、未来を担う子どもたちが本当に世界平和のために尽くせたらいいなと思いますね」

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