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「柴犬」のルーツは長野にも!?「威厳があった」小布施町で飼われていた『中(なか)』 戦中・戦後の絶滅危機を救う ちなみに4月8日は「柴(しば)の日」

■「中」の子をと「小布施参り」

柴犬系統図

良質な柴犬に育った「中」。全国の愛犬家たちも「中」の子がほしいと樋田さんを訪ねました。「中」と交配する雌犬が次々とやってくる様子は「小布施参り」と呼ばれていたそうです。

田中達夫さん:
「(中は)理想の犬だったから、素晴らしさを求めていくと『中』へ行く」

「中」は1963年に死にましたが、その血を継ぐ柴犬は「信州系」と呼ばれ人気に。
1960年代から70年代にかけ全国各地に広まっていきました。田中さんは次のように話します。

田中達夫さん:
「日本中の柴犬は戦後の信州系の『中号』の血液が入っている」

戦中・戦後の絶滅危機を救ったとも言える「中」。柴犬の「中興の祖」と呼ばれています。



■自宅には今も「中」の名残り

「中」の石像と石碑

小布施町の樋田さんの自宅には「中」の石像と石碑が建てられています。

樋田珠紀さん:
「犬のファンというか、記念に作ってもらった」

樋田さんの義理の娘・珠紀さん(82)によりますと、およそ60年前に愛知県の愛犬家仲間から贈られたということです。庭には「中」も使っていた犬用の運動場の名残もあります。

樋田珠紀さん:
「ここが全部運動場だった、交代に犬を放して」

珠紀さんは「中」を見たことはありませんが、「中」が死んだ後も大切に犬を育ててきた樋田さんの姿をよく覚えています。

樋田珠紀さん:
「(秀男さんは)とにかく動物が好き。愛情があった、特に動物には」

■「歴史を知って大切に飼って」

田中さんの飼い犬「福ちゃん」

さて、「中」と樋田さんに憧れてきた田中さん。長年、柴犬を飼い続けています。

田中達夫さん:
「健康でいるのは趣味を通しての犬のおかげだと思っている。健康の泉、精神的に体だけでなく、(働いていた時は)いろんな悩みがあっても、家に帰ってきて犬の顔見るとそれが全て吹っ飛んでしまう」

1975年には樋田さんと同じ展覧会で文部大臣賞も受賞しました。今は雌の「福ちゃん」と一緒に暮らしています。参考にしているのはもちろん樋田さんの教えです。

田中達夫さん:
「犬は飼うものであって飼われるものではないです。『中』を飼っていた樋田さんも(中に)厳しかった、だめなものはだめと。もう1つは犬は死ぬまで飼って愛情を注ぐこと。そういうのを教えてくれたのは樋田さんです。75年も前の話ですけどね」

今、世界中で愛される柴犬。そのルーツは戦後でも小布施町で愛情深く育てられた1匹の雄にありました。

田中さんもその歴史を知って柴犬を大切に飼ってほしいと話しています。

※なお、「中」の曽祖父にあたる「石」も現在の柴犬のルーツといわれています。「石」がいた島根県益田市では「柴犬発祥の地」として愛犬家や観光客などにPRしています。

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