
吉村さんの知人・坪井智さん 30年前の「被災者」
坪井さんは30年前の「被災者」。震災で住んでいたマンションの家具が倒れるなどの
被害がありました。吉村さんと知り合ったのは被災後のイベントです。当時、吉村さんのような多くのボランティアが駆け付けてくれたことに、恩返しの気持ちが募ったと言います。
坪井智さん:
「もう本当にエネルギーをもらって、今度は、それこそよく神戸の人は言うんですけど、お返ししなきゃいかんし。できてるかどうかわからないですけど、そういう気持ちが一番大きいかなと思いますね」

吉村誠司さん、渡辺キャロラインさん
現在、吉村さんの支援を受ける渡辺さんは…。
渡辺キャロラインさん:
「吉村さんにおんぶにだっこ。もう全部何でも直してくれたり。もう本当にスーパーヒーローとしか言いようがない」
吉村誠司さん:
「30年たったから、ようやくこんな感じになった。ほんと神戸、おれは4日目に入ったんだけど遅かったなと思ったし。やっぱあの時の匂い、今回の輪島の匂いと同じ。あの焼けた匂いと…」「原点だよね。神戸がなかったら、キャロさんの所も回ってないかもしれない」

台風19号災害時のボランティア(2019年・長野市)
阪神大震災のあった1995年は日本の「ボランティア元年」とも呼ばれています。以降、災害があれば全国からボランティアが集まるようになり、ボランティアセンターなど、受け入れの態勢も徐々に整備されてきました。

能登では1年経った今も、倒壊した建物の多くが手つかずのまま
しかし、能登では1年経った今も、倒壊した建物の多くが手つかずのまま。ボランティア活動が続いていますが、宿泊事情・道路事情の悪さから人手が不足していると指摘されています。
吉村さんは改めて被災地に思いを寄せて、できることを見つけてほしいと訴えています。
吉村誠司さん:
「今、ボランティアセンターが輪島や珠洲、能登とかでも開き始めているので、自分たちで今、何が求められているのかっていうのを、フェイスブックとかで発信してるので、それを見ながらこっちに足を延ばしていただきたい」「興味を持ち続けること、風化との戦いでもあるので、しっかり心のスイッチを切らずに続けてくれればいいのかなと思います」

「原点」で黙とう(吉村誠司さん提供)
祈りに包まれた17日の神戸。吉村さんも前夜のうちに信濃町を出て、「原点」の地で黙とうを捧げました。
思いを新たに再び能登で活動します。