
修さんが診断を受けた前頭側頭葉変性症とは
歯科医院では患者と接することを避け、裏方に回るようになりました。
恭子さんは何度も病院に行くよう勧めましたが、修さん自身は自覚がなく、行きたがりませんでした。
■説得して脳ドックへ 診断名は「前頭側頭葉変性症」

当時62歳 「若年性認知症」に(提供:青木さん)
4年前、ようやく「夫婦一緒なら」と納得させて脳ドックへ。診断名は「前頭側頭葉変性症」でした。認知症のひとつで、前頭葉と側頭葉が萎縮し言語障害や人格の変化が現れます。
修さんは当時62歳。65歳未満は「若年性認知症」に分類されます。
青木恭子さん:
「病院につながることができて良かったというのが一つ。まったく知らない病気だったのでびっくりしました。『治りません、治療も薬もありません』と言われました」
■募る不安から東京の家族会に参加

たんぽぽの会代表・青木恭子さん
病名ははっきりしたものの、治療法が確立されていない上に、病気や介護の知識がなかった恭子さんは次第に不安を募らせていきました。
当時はコロナ禍。恭子さんは東京の家族会の活動にオンラインで参加するようになりました。
青木恭子さん:
「ちょっと良くなったかなって思った時に、次の日また忘れてたりすると、すごくがっかりしちゃったりして…。でも家族会の方たちには『みんなそうだよ』って言っていただいて、全くの暗闇が、少しは見えるようになって」
■好きなことは覚えている 来年の目標は夫婦で登山

月に2度、言語聴覚士が自宅を訪問
言語聴覚士:
「先生、どうですか?天気」
夫・修さん:
「きのうより気温は下がってるけど」
修さんの介護認定は現在「1」。この日は言語聴覚士が訪問し、会話をしながら症状を確認しました。
言語聴覚士:
「先生、自転車で最近どこかお出かけになりましたか?」
夫・修さん:
「自転車で1時間くらい行ってた」
「(恭子さんに)どうした?あれ、何キロ走った(記録)とか」

ピアノを演奏 難易度の高い曲も(提供:青木さん)
修さんは今も病気の自覚がありません。
恭子さんの仕事中は警備会社の見守りサービスを受けていて、料理や洗濯など、できることをして過ごしています。
忘れてしまうこともあれば、ピアノや登山、サイクリングといった自分の好きなことの幾つかは覚えています。