■街並みも変わって人通り少なく

1996年撮影 県町通り
店のある県町通りも大きく変わりました。
かつては多くの商店が軒を連ねていましたが長野オリンピックが終わってから景気低迷もあって店が減り、人通りも少なくなりました。
3代目成亘さん:
「いわゆる県町商店街と言って60何軒あったんだ。(商店街で)洋服をあつらえて、頭を大盛軒でやって、泊まるのは犀北館、これがステータスというか。今はみんななくなっちゃった。もうちょっと頑張ってもらいたいけど商売というのは難しいね」
■店では50年以上前の椅子も現役

50年以上前の椅子もまだ現役
1983年、ホテルの増改築に伴い、店は30メートルほど北側に移転し、現在に至っています。
創業当時からあるドイツ製の掛け時計や成亘さんが店を継ぐ際、新調したという50年以上前の椅子もまだ現役。
そして、店の雰囲気も昔とさほど変わっていません。
■現在は4代目が継ぐ

客は…
この日も多くの常連客が足を運んでいました。
4代目・小林亘さん(接客):
「志賀のほうが積雪って言ってましたね」
4代目の亘さんは8年間、東京で修業し2005年に店を継ぎました。
4代目・小林亘さん:
「長男で生まれたのもありますし、祖父母もこの仕事、曾祖父もしてましたから、跡を継ぐというのは必然だと思っていたので。(父親が)幅広い層の人に慕われている姿は見ているので、地元にいる上では、そういう方々がニコニコして来ている姿を見ていると自分もそういうふうになりたいなと」
23年来の常連(83):
「息子さんもなかなか上手ですよ、お父さんも上手でしたけどね。ここのお父さんも話好きでなかなか物知りでしたから楽しみで、頭をやってもらうより話のほうが楽しみで来てましたから。今も息子さんによく話し相手になっていただいてます」
■若い世代にも評判

耳かきをする母・千恵子さん
顔剃りに、耳かき。丁寧な仕事は若い世代にも評判です。
こちらの大学生はもう4年通っています。
4年通う大学生(21):
「来てみたらサービスもすごくいいですし、腕も良いし、話も面白いので通うようになった。ここは切るだけじゃなくてカミソリとか耳かきとか、すごく温かくて、月イチのごぼうびみたいな場所だと思ってます」