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多くの人を魅了 小澤征爾さんの「情熱」「人柄」 信州を愛し、信州に愛され…音楽の祭典にかけた32年

運営支えたボランティア 「小澤さんあってのもの」

小澤さんは大のそば好きだった(2014年)

松本にSKFが根付く大きな要因となったのが、運営を支えてきた多くのボランティアです。長くまとめ役をしてきた青山織人さんは小澤さんの思いと人柄があってのものだと話します。

松本市文化芸術振興財団・青山織人理事長:
「(音楽祭を)この街に定着させるという強い思いがあったと思いますね。お客さんを迎えるのに、ボランティアでいいのかという議論がありますよね。そこが小澤さんなりの理解と思いがあったんじゃないか。『街の人と一緒にやるぞ』っていう、小澤さんは考えたから、我々もできた」

恒例のそばパーティーは交流の場に。

小澤さん:
「最高、気持ちが伝わってきますから」

松本市文化芸術振興財団・青山織人理事長:
「気さくなキャラだから、ボランティアに平気で声かけるし、そういうキャラがあったから、みんなも乗っていった。スタッフシャツ着てるんですよね、小沢さんも着てるんですよ。オーケストラのメンバーも着てるんですよ。自分たちがやってるんだ、街の人たちも一緒にやってるんだと」


SKFによって人生が変わる人も

そば店を営む浅田泰一さん

小澤さんのSKFによって人生が変わった人もいます。

浅田泰一さん:
「おいしいおいしいって、ほんとに、もう」

そば店を営む浅田泰一さん(74)。もともとはホテルマンで出演者の宿泊を担当していましたが、小澤さんの好きなそばでSKFを盛り上げたいと一念発起。45歳で店を開きました。

それを聞きつけ、小澤さんは何度も店に足を運びました。

浅田泰一さん:
「(表で)並んで待ってるんですよ、ちょっと申し訳なくて。それでも、そば好きだったからね、待たれても食べましたよ。ちょっと…すみません。(涙拭う)小澤さんの遺志を引き継いで、音楽祭を続けられればね。松本市民が全員で続けられるように努力しなければいけないと思っています」





OMFになっても情熱衰えず 「ぼく、指揮したい」

3年ぶりのステージ(2022年)

SKFは2015年からOMF、セイジ・オザワ松本フェスティバルへ。

小澤さん(2016年):
「運命の女神が微笑んで、ここ(松本)がぴったりだった。長野県の人、松本の人…(涙ぐみ、なかなか声にならない)…人柄が素晴しい」

小澤さんは体調を崩しがちになり、タクトを振れない年が増えていきましたが、情熱は衰えませんでした。

小澤さんの会見(2019年):
「ぼく、指揮したいですよ。だから指揮させてください」

そして、2022年、3年ぶりにステージに。車いすから手を振る小澤さんに会場はスタンディングオベーション。





小澤さんが根付かせたもの…これからも

献花台の遺影

OMFは今年も8月末からの開催が予定されています。

青山さんは、小澤さん亡きあとも「音楽を楽しむ文化は松本から消えない」と断言します。

献花する青山織人さん

松本市文化芸術振興財団・青山織人理事長:
「あれだけの時間と力を尽くした、小澤さんが。なくなるわけないですよ。30年という時間と小澤さんの持つ力が合わさって、そんな簡単につぶれないですよ」

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