■「生きるために言葉を紡ぐ」

「急に具合が悪くなる」より
(宮野真生子さん 8便より)
「いま、自らの病を語ろうとするなかでそのおぞましいまでの力を感じます。しかし、これが生きるということであり、そして、私は生きるために言葉を紡ごうとするのです。」
磯野真穂さん:
「(宮野さんは)日々、呼吸もままならない状況になって、その中でやはり8便ですよね。『私は最後までこの書簡を書ききるんだ』と宮野さんが返してくれた。これほどまでに人に衝撃を与えられる文章を送れるのかというすごみ」
2019年4月から7月まで、それぞれ10便の書簡を交わした後、宮野さんは42歳で亡くなる―。
磯野真穂さん:
「言葉って形がないので大体、消え去ってしまう。だけど磨き抜かれた言葉の中に魂がのった時、その言葉は死なずに残るんだと思う。2019年に作られた本に宿った命がいまだに生きていたからこそ、濱口監督に受け取ってもらえた」
■早世から7年…「ここまで来たよ」

カンヌで撮影 濱口竜介監督(左)と磯野さん
その後、原作に心を打たれた濱口監督から映画化の話が舞い込みます。
宮野さんが亡くなって約7年後に公開された映画は、主人公を日本人とフランス人に置き換え、パリを舞台に新たな物語を展開しています。
磯野真穂さん:
「言葉が海を越えてここまで届くことがあるんだという驚き。紡いでいった縁の先に、カンヌ映画祭で上映されて、主演女優賞を取るという未来は想像を超えます。(原作の)フレーズだけを移植するのでなく、ここ(書簡)にある言葉がどう生まれてくるのかという土壌を見た上で、その土壌のエッセンスを濱口さんが持っている土壌に移し替えて、その上で作ってくれた映画だと強く実感したので、救われた気持ちになった」

磯野さんが見せてくれた宮野さんの指輪
磯野さんは濱口監督とともに、カンヌでの上映会に参加しました。
磯野真穂さん:
「(カンヌに)宮野さんの指輪を持って行って(宮野さんにかけたのは)『ここまで来たよ』っていう言葉ですね。言葉の可能性を感じさせてくれた映画化。そこに私が関われていたことは、これまで積み上げてきたものにも価値があったし、言葉にある種の命を宿すことが私も多少、できていたのかなと思う」

