■妻「そんなんだったらやめれば」

家族と (渡部暁斗インスタグラムより)
2022年北京オリンピックを終えた後、渡部の中でぼんやりとした迷いが続いていました。
やめてもいいと思いながら、しかし完全には踏み切れない日々。
その状態は、本人が気づかないうちに日常の言葉にも表れていたといいます。
「家の中で、いやもう俺も年取ってきたから、若いのに勝てなくなってきたわみたいな発言が増えていたらしい」と渡部は語ります。
そんな渡部に、妻がある日言い放ちました。「そんなんだったらやめれば」
この言葉は、弱音を許さない叱咤でも、引退を促す圧力でもありませんでした。
「自分が1番、100対0でスキーに振っていた時を知っているから、彼女も競技者でしたし、そんな中途半端な気持ちを見たくない、ということを言っていた」と渡部は振り返ります。
「家族にも振りもしない、競技にも振りもしない、なんかどっちつかずの状態だった」ことを、妻の言葉が鮮明に照らし出したのです。
その言葉を受けて、渡部は決断。
最後のシーズンは「限りなく100に近い状態で、最後ここまでやり切ろう」という覚悟で臨みました。
それがミラノ・コルティナオリンピックであり、そしてオスロでの現役最終戦へとつながっていきました。
■盛大に祝ってもらったラストレース

オスロ市街にて
ノルディックスキー発祥の地、ノルウェー・オスロで行われたワールドカップ最終戦が、渡部の現役303試合目にして最後の舞台となりました。
この試合は、ワールドカップ最多出場記録の更新でもあります。
当日は、渡部自身のこれまでの写真がプリントされた特別なジャンプスーツがチームからサプライズで用意され、「朝から晩まで、こんなに盛大に祝ってもらっていいのかと思うぐらい」の一日だったといいます。
試合を終えた後のファイナルパーティーでは、各国の選手やコーチ、スタッフから次々と声をかけられ、「暁斗コール」で送り出されたといいます。
さらに日本チームからは胴上げも。
「普段そんなにこう言ってくれることもないので、言われることもないから、なんかすごく感激しました」と渡部は語ります。
「302試合はずっと真剣にただやってきて、ようやくその真剣じゃない1試合を最後にちょっとだけ味わえた感じでしたね」その言葉が最も雄弁に、20年間の競技人生の重さを物語っていました。
最後の試合の出来について「120点でした」と語った渡部の表情は、これまでで最も穏やかでした。

