■被爆者の記憶を未来へつなぐ信州の教師たち

御代田中学校で平和学習を行う近藤教諭
「普通のおじいちゃん、おばあちゃんが、教科書で見た体験をその場でしている」
御代田中学校の近藤拓也教諭は中学生を前にこう語りました。若手教師や医療関係者たちは、長野県内に暮らす被爆者と被爆2世から直接体験を聞き取り、冊子「願いをつなぐ」を作成しました。戦後80年。被爆者の高齢化が進む中、彼らの記憶を次世代へつなぐ取り組みが、信州の地で確実に広がっています。
■教科書を超える「生の声」を求めて

広島・長崎の被爆者・被爆2世の証言をまとめた
2025年7月、御代田町の中学校で原爆について学ぶ平和学習が行われました。この授業で生徒たちに配られたのは、一般的な教科書のコピーではなく、「願いをつなぐ」と名付けられた特別な冊子でした。
「被爆80年に向けて、聞き取り活動をしたいと仲間と話をしていて、やるからにはしっかり話を聞いて次の世代に伝えていけるものを作ろうというと冊子を作った。」と近藤教諭は説明します。
冊子には、当時15歳で救護にあたった女性や原爆症に苦しんだ母を持つ女性など、長野県内在住の13人の貴重な証言が収められています。作成したのは「ヒバクシャのねがいをつなぐプロジェクト」のメンバーたち。彼らは長野県原爆被害者の会の協力のもと、1年かけて聞き取りを行い、冊子にまとめました。
太平洋戦争末期、アメリカ軍によって8月6日に広島、9日に長崎に原爆が投下されました。死者は広島でおよそ14万人、長崎でおよそ7万人。そして大量の放射線による被害はさらに多くの人を長い年月にわたって苦しめてきました。
■証言者の「目」と「声」が伝える現実

広島での被爆体験を語る今井和子さんと証言を記録する竹田教諭
プロジェクトメンバーの一人、教諭の竹田早希さんは近藤さんに誘われて聞き取りに参加しました。彼女のノートには、びっしりと書き込まれた証言の文字があふれています。
「目の前にいるその人がその時にその場にいた。それで今ここまでの人生も歩んでこられたということに圧倒された。次はつなげること。私たちが今度は語らなければいけない。」と竹田さんは語ります。
竹田さんが初めて聞き取りをしたのは、長野市に住む今井和子さん。今井さんは4歳の時、東京から母親の実家があった広島へ疎開。原爆投下の日は、爆心地から2キロ離れた家の縁側で遊んでいました。
「8時15分、原爆投下のその瞬間、今でも体で覚えている。下から突き上げるような、どーんという感じと、それからぴかっと光って瞬間的にね真っ暗になった」と今井さんは当時を振り返ります。
避難する途中、今井さんは忘れられない光景を目にしました。「馬車が通って、一番後ろに背中が真っ赤に焼けただれた人がじーっと虚ろな顔をして座ってた。その顔、目とか雰囲気とか、今も思い出す」