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【戦後80年】「きみは姿を消した」14歳少年が見た東京大空襲 「忘れられない」友を想い続けた94歳の詩人の記録 赤と黒に刻んだ“燃える東京” #戦争の記憶

■赤と黒のデカルコマニー 言葉を超える表現

デカルコマニー技法で描いた「東京大空襲」

しかし、詩だけではあの悲惨さを表現しきれないと、田中さんは考えていました。そうして始めたのがデカルコマニーによる絵の制作でした。デカルコマニーとは、絵の具を付けた紙に別の紙をのせ、はがした時に偶然できる模様を作品とする技法です。これを使い、作り上げたのが、赤と黒の絵「東京大空襲」でした。

「私の中に刻まれてる大空襲の全ての光景があります。家の周りや街がどんどん焼けてしまって、道端にはごろごろ焼死した死体が転がっていたもの全部を見てしまった。私はその時、まだ14歳。本当に言葉にならない」と田中さんは語ります。

「その時のイメージを出すにはどうしたらいいかを考えたときに思いついたのが、デカルコマニーの技法。私としてはもうあれしかない形だった」

■22年間の鎮魂の祈り

 

2025年3月、田中さんは40年余り暮らした千葉県市川市から、再びふるさとの上田市へ移り住みました。自宅には、これまでに制作したたくさんの絵画が保管されています。東京大空襲と書かれた中にも、多くの赤と黒の絵が収められています。

田中さんの妻は「私は実際に空襲の場に立ち会っていないが、主人が書いたもや東京大空襲の詩を読むと、本当にその時どんな気持ちだったのだろうかと。やはり平静ではいられない」と語ります。

田中さんは22年もの間、毎年3月10日に、鎮魂の祈りを込めて、赤と黒の絵を作り続けてきました。作品の裏にはタイトルが記されたものもあります。

「東京大空襲 引き裂かれた朝」
「逝ける友よ」

毎年3月10日になると、あの時亡くなった10万人の方たちの命と親友への思いを、祈りに変えて作品を作り続けてきたのです。

■伝え続ける想い 二度とあってはならない

田中清光さん 上田市の自宅にて

2025年5月、長野市のギャラリーで田中さんの作家人生を振り返る展覧会が開催されました。東京大空襲を経験した女性は「私も同じ経験をしてきました。戦争は軍人や兵隊だけのことじゃない。普通の市民の人たちがどれほど大変な思いをして暮らしてきたか」と話します。

訪れた人々は田中さんの作品に強い印象を受けていました。「先生の赤の色が印象的で、ただ自分で描いたのではなくて写し取ったのと、その両方の虚実が一緒になっている。今感激しています」、「すごい情熱。驚きと悲しみと切なさが出ている」

今はふるさとで静かな時間を過ごす田中さん。それでも、80年前の記憶が薄れることはありません。

「忘れられません。ああいうことはあってはならない。だからそういうものを作っているんだよね。あってほしくないから」

田中さんの詩の最後は次のように締めくくられています。

「永遠の靴を履けぬきみのめぐり うずたかく歳月の積もる中で 草木がものいうのは 見えている瞬間に対してだけではない われら人間の終わりのない悲歌とも 問答を続ける」

80年前の記憶を、詩と絵に託して伝え続ける94歳の詩人。その切実な願いは、今も私たちに静かに、しかし力強く語りかけています。

※本記事は、NBSフォーカス信州 2025年8月1日放送回
「戦後80年 記憶の灯火」をもとに構成しています。

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