
信濃グランセローズ・柳沢裕一監督
「ミスタープロ野球」死去のニュースです。読売巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督が3日朝、肺炎のため亡くなりました。89歳でした。長野県内からも追悼の声が相次いでいます。
昭和34(1959)年、天覧試合でのサヨナラホームラン。記録と記憶に残る活躍を見せ「ミスタープロ野球」と呼ばれた長島茂雄さん。6月3日朝、肺炎のため亡くなりました。89歳でした。
昭和の時代を鮮やかに彩ったスーパースターでした。
長野県民は―。
40代:
「すごくショック。野球界だけでなく一つの時代が終わったのかなという感じがする」
70代:
「長嶋選手の活躍はテレビでずっと見てましたのでね。あの人がいなくなるなんて信じられない」
70代(長嶋さんの地元・千葉県佐倉市出身):
「段ボールの中、開ければ思い出の品がありますよ。新聞も取ってあります」
引退後は監督として巨人を率い、平成6(1994)年には念願だった日本一を手にします。
信濃グランセローズの柳沢裕一監督は当時、巨人に所属。長嶋さんから直接指導を受けました。
信濃グランセローズ・柳沢裕一監督:
「私をプロ野球の巨人に導いてくださったのは長嶋さんなので、当時の思いもいろいろと感じるところがありました」
柳沢監督は平成5(1993)年、キャッチャーとしてドラフト2位で巨人に入団。長嶋さんが手厚く迎えてくれました。
信濃グランセローズ・柳沢裕一監督:
「私が大学から巨人に逆指名。その時に長嶋さんが自ら出てきてくださって『巨人のユニフォームを着て一緒に汗を流そう』って言っていただいた一言というのは今でも心の中に残っています」
巨人に在籍した6年間、ベンチでは長嶋さんの近くに座り様々なことを学んだということです。
信濃グランセローズ・柳沢裕一監督:
「(指導は)かけがえのない財産。長嶋さんは熱い中にも冷静さも兼ね備えていた監督なので、今こうしてグランセローズの監督をさせていただいていますけど、そういうところも参考にさせていただいている。これから先もプロ野球というのは、長嶋さんの影響というのは、ずっとずっと語り継がれていかれるんじゃないかと思っていますし、大事にしなきゃいけないことじゃないかと思います」