
被団協・田中熙巳さん
広島・長崎の被爆体験を伝え続けノーベル平和賞を受賞した「被団協」・日本原水爆被害者団体協議会の田中代表委員が長野市で講演しました。核兵器廃絶に向けた運動を若い世代にも伝えていきたいとしています。
被団協・田中熙巳さん:
「私たちがノーベル平和賞を受賞したことは、日本の国民にとっても、ほとんど原爆を知らない外国の人たちにとっても非常に重要なことだと思う」
19日、長野市で講演したのは被団協の田中熙巳代表委員(92)です。
1945年8月9日、13歳だった田中さんは長崎で被爆し、自身は軽いやけどで済みましたが、5人の親族を失いました。その後、被団協の事務局長を20年務めるなど核廃絶に取り組むことになります。
12月のノーベル平和賞の授賞式でも演説した田中さんは、オンラインも含めおよそ500人に訴えました。
被団協・田中熙巳さん:
「被爆者の証言は(あと)10年が限界だと思う。被爆者がいない中で核兵器を廃絶しなければならない。核兵器は使ってはいけないという大きな世論が国民の中にないといけない」
被爆国であると同時にアメリカの「核の傘」のもとにある日本は核兵器禁止条約を批准していません。
1月8日、石破総理と面会した田中さんは、3月の核兵器禁止条約の締約国会議に日本がオブザーバー参加するよう求めましたが、総理から明確な答えは得られませんでした。
被団協・田中熙巳さん:
「できるだけ早く(核兵器)廃絶する条約に持っていくことではないかと私どもは主張している。オブザーバーに入って、いかに署名して批准することが大事であるかを代表者には考えてほしい」
まもなく戦後80年。
国際的な緊張が高まる今、田中さんは「核兵器廃絶」の意義を若い世代に伝えていくことが重要だとしています。
被団協・田中熙巳さん:
「今ちょうど被爆者と次の世代、もっと若い人たちが接する最後の機会だと思いますので、被爆80年、戦後80年という大事な時を被爆者の証言や被爆の現実を一緒になって明らかにして、深めて広めていく作業をやっていただく年ではないかと思う」