
1923年9月1日に起きた関東大震災 東京を中心に10万5000人の犠牲者
100年前に発生した「関東大震災」。長野県内でも震度5を観測し、家屋が倒壊するなどの被害があり、デマも飛び交いました。
1923(大正12)年9月1日に起きた関東大震災。東京を中心に10万5000人もの犠牲者が出てその9割が火災によるものでした。

震災直後の信濃毎日新聞より
長野県内でも長野と飯田で震度5、松本で震度4を観測しました。
震災直後の「信濃毎日新聞」も家屋の倒壊などの被害を伝えています。千曲川沿いの東信地域や諏訪地域で被害が大きく、1925年の震災予防調査会のまとめでは長野県内で全半壊した住宅は88棟、住宅以外は133棟にのぼりました。
幸い、亡くなった人はいませんでしたが、善光寺の境内には多くの人が避難しました。

震災直後の信濃毎日新聞より
紙面には東京などで朝鮮人が放火した、爆弾を持っていたなど後に事実無根とわかるデマも記事として掲載されています。
大混乱の中、東京に赴いた記者は上野公園周辺で不安に駆られた人々に朝鮮の人が暴行を受けていたことなどを記事にしました。
「鉄棒や棍棒を携え鮮人狩りをしている有志もある。時々発見されては追われたり逃げそこなったりする者は書くこともできぬような凄い場面を見せられる」
県内でも、松本で朝鮮の人が街を歩いているだけで殴られたことが記事になっています。

「100年前の関東大震災と長野県」(長野郷土史研究会)
「長野郷土史研究会」(長野市)はこのほど記念の冊子「100年前の関東大震災と長野県」を発行しました。
当時、東海道線や中央東線が不通となった影響で信越線の駅は被災者などで溢れていました。
冊子では乗換駅の篠ノ井駅では避難者が5万7000人と県内で最も混雑したことや、各駅で住民が県の指示を待たずに炊き出しなどの支援をしていたことを紹介しています。
また、日本赤十字社の救護班が県内から被災地に続々と向かったことも記しています。

長野郷土史研究会・小林一郎会長
また、県内でも「総理が暗殺された」「摂政宮(注・後の昭和天皇)が行方不明」などのデマが流布していたことにも触れています。
会長の小林一郎さんは、100年たった今でも教訓にすべきことがあると話します。
長野郷土史研究会・小林一郎会長:
「今は情報があふれているから何が正しい情報で、何が間違った情報なのか、区別がつきにくい、そういう点が非常に危惧される時代ではないかと思います」
「関東で東京中心に何か起こったときは、長野県は非常に大きな役割を果たす。常に心構えが大事だなということは感じています」