
特集は激減した温泉街の芸者を守る取り組みです。長野県・戸倉上山田温泉で芸者たちの働き口にと置き屋の女将が、2022年、飲食店を開きました。芸者を守り、お座敷遊びの文化を残すための挑戦です。
「はい、唐揚げでーす」
2022年9月、千曲市上山田温泉にオープンした「えんや」。平日のランチ営業は近くで働く人たちが詰め駆け、ほぼ満席になります。
人気メニューは―。
客:
「めっちゃおいしいんだけど、これ!」
鶏のもも肉とむね肉を揚げた「からあげミックス定食」です。(850円税込)
客(韓国出身):
「韓国人も唐揚げ大好きなので、近くにこんな店ができてうれしい」
忙しく働くスタッフの女性。
実は、本業は芸者。昼は店、夜はお座敷が仕事場です。
店を取り仕切るのは、オーナーの椎名三枝子さん77歳。
椎名さんも本来は芸者を抱える置き屋の女将。「芸者衆」を守るため、店をオープンさせました。
えんや・椎名三枝子さん:
「コロナでお座敷がなくなって芸者衆の仕事がなくなったから、生きていくためには仕方がないと思って、それで食べ物屋さんがいいだろうと」
椎名さんが置き屋「ひでの家」を始めたのは、およそ30年前。
東京でスナックを営んでいましたが、知り合いに誘われ店のスタッフだった女性4人を連れて開業しました。
まだ「バブル経済」が続いていた頃のことです。
ひでの家・えんや・椎名三枝子さん:
「この辺の道路でさえも客と横に並んで歩けない。縦に歩かないと隙間よっていかれない(ほど混んだ)。(午後)6時から6時半のお座敷から朝の4時、5時くらいまでみんなお座敷でした。(芸者の)皆さん、封筒が立ったんじゃないですか、それくらい稼いでいた」
ピーク時、400人以上に上った戸倉上山田温泉の芸者衆。
しかし、バブル崩壊後は景気低迷やレジャーの多様化で温泉を訪れる団体客が減り、芸者の仕事は減少の一途をたどりました。
さらにコロナ禍が追い討ちとなりました。
温泉街の芸者は20人ほどに減少。100軒ほどあった置き屋も4軒ほどとなり、共同稽古などを目的にした「組合」も2021年、解散しました。
ひでの家・えんや・椎名三枝子さん:
「芸者が1人去り、2人去り…だから寂しいですよ。もう一度そういう街に戻したいと思うけど、無理でしょうね…」
「ひでの家」も仕事が減り、椎名さんは芸者たちが働けるようにと15年前、スナックを開業。
しかしコロナの影響で2022年8月、閉店を余儀なくされました。
2000年代初めまで30人ほどいた「ひでの家」の芸者は現在、2人。
岐阜出身の真珠子(たまこ)さん(54)は、1998年から椎名さんの下で腕を磨いてきました。
しかし、この3年間は自慢の芸も披露できませんでした。
芸者・真珠子さん:
「それまでほぼ休みなく働いていたところに、ポツンと仕事がなくなって、最初のうちは、『あ!休みだね』と(うれしく)正直思っていたが、あまりに長く続くと不安でしかなかった」
このままでは、芸者たちを守れない。
椎名さんは、残った2人の助言もあり、コロナの影響が少ない定食を中心にした店に舵を切りました。
ひでの家・えんや・椎名三枝子さん:
「女の子を抱えてるから、この子たちが生きる道を考えてあげないと。この子たちが食えるようにしてあげないと。この街で芸者やっててみっともないでしょうから、だから何か残してあげたいと思って」
オープンしてまだ8カ月ほどですが「唐揚げがうまい」と評判です。
肉は半年以上かけて考案したというだしに漬けてから温度の違う油で二度揚げ。外はカリッと、中はジューシーに仕上げています。
客:
「来ればだいたい唐揚げです。下味がしっかり効いてて、とてもおいしい」
唐揚げ専門の予定でしたが、リクエストに応えるうちにメニューは20余りに。
鶏肉を薄くのばして揚げたカツが3枚乗ったチキンソースカツ丼は、唐揚げに並ぶ人気メニューです。(680円税込)
ソースカツ丼を食べた客:
「3枚も入っていて食べ応えがあります。安くて量もあって最高」
ひでの家・えんや・椎名三枝子さん:
「何事もなく、無事にいってこられるように。やっぱり親心みたいなもの。いいものですよ、芸者衆が出ていくというのは」
芸者・真珠子さん:
「じゃあ、これから頑張ろうという気持ち。ここからは『さあ、きょうのお座敷はどうしよう』と引き締めて…」
コロナの感染が落ち着くにつれ、芸者の仕事も入るようになりました。
5月31日、夕方―。
この日は近くの旅館でアメリカから来た家族に芸を披露。
踊りの「川中島」では、力強く。
「炭坑節」はみんなで踊って楽しく。
「お座敷あそび」も好評!
アメリカから:
「踊りも素晴らしかったし、ギター(三味線)のリズムは良かった。踊って楽しかったし、お座敷あそびも最高だった」
「踊りを教わって踊れてよかった。妻にお座敷あそびで負けて悔しい」
亀清旅館 主人・タイラー・リンチさん:
「芸者衆が現役でいるのは、戸倉上山田温泉にとっても宝物だと思っているので、積極的にお客さんに案内して30分の芸妓(げいぎ)ショーの回数を増やすという努力をしている」
芸者・真珠子さん:
「コロナでぱったりとなくなってしまった中で、どうやって生きていこうっていう試行錯誤もありましたけど、お昼も一生懸命動けるし、夜は夜でいろいろな方に会ってお話が聞ける。とても今、幸せです。お母さん(椎名さん)、感謝って感じです。ずっと私たちのことを最優先に考えてくれていて、ありがたいです」
芸者衆を支え、温泉街の文化を守る。
椎名さんは置き屋の女将として、飲食店のオーナーとして当面、「現役続行」です。
ひでの家・えんや・椎名三枝子さん:
「やっぱり芸者を残さないと、この街に。もともと芸者の街でしたから。もう一度、そういう街にしたい。希望としては85、86歳まではこうやって現役でいたいんです。みんなが『もういいよ、お母さん出てこなくて』と言われるまでいようと思います。『もうお母さん邪魔!来ないで!』と言われたら最高」
「はい、唐揚げでーす」
2022年9月、千曲市上山田温泉にオープンした「えんや」。平日のランチ営業は近くで働く人たちが詰め駆け、ほぼ満席になります。
人気メニューは―。
客:
「めっちゃおいしいんだけど、これ!」
鶏のもも肉とむね肉を揚げた「からあげミックス定食」です。(850円税込)
客(韓国出身):
「韓国人も唐揚げ大好きなので、近くにこんな店ができてうれしい」
忙しく働くスタッフの女性。
実は、本業は芸者。昼は店、夜はお座敷が仕事場です。
店を取り仕切るのは、オーナーの椎名三枝子さん77歳。
椎名さんも本来は芸者を抱える置き屋の女将。「芸者衆」を守るため、店をオープンさせました。
えんや・椎名三枝子さん:
「コロナでお座敷がなくなって芸者衆の仕事がなくなったから、生きていくためには仕方がないと思って、それで食べ物屋さんがいいだろうと」
椎名さんが置き屋「ひでの家」を始めたのは、およそ30年前。
東京でスナックを営んでいましたが、知り合いに誘われ店のスタッフだった女性4人を連れて開業しました。
まだ「バブル経済」が続いていた頃のことです。
ひでの家・えんや・椎名三枝子さん:
「この辺の道路でさえも客と横に並んで歩けない。縦に歩かないと隙間よっていかれない(ほど混んだ)。(午後)6時から6時半のお座敷から朝の4時、5時くらいまでみんなお座敷でした。(芸者の)皆さん、封筒が立ったんじゃないですか、それくらい稼いでいた」
ピーク時、400人以上に上った戸倉上山田温泉の芸者衆。
しかし、バブル崩壊後は景気低迷やレジャーの多様化で温泉を訪れる団体客が減り、芸者の仕事は減少の一途をたどりました。
さらにコロナ禍が追い討ちとなりました。
温泉街の芸者は20人ほどに減少。100軒ほどあった置き屋も4軒ほどとなり、共同稽古などを目的にした「組合」も2021年、解散しました。
ひでの家・えんや・椎名三枝子さん:
「芸者が1人去り、2人去り…だから寂しいですよ。もう一度そういう街に戻したいと思うけど、無理でしょうね…」
「ひでの家」も仕事が減り、椎名さんは芸者たちが働けるようにと15年前、スナックを開業。
しかしコロナの影響で2022年8月、閉店を余儀なくされました。
2000年代初めまで30人ほどいた「ひでの家」の芸者は現在、2人。
岐阜出身の真珠子(たまこ)さん(54)は、1998年から椎名さんの下で腕を磨いてきました。
しかし、この3年間は自慢の芸も披露できませんでした。
芸者・真珠子さん:
「それまでほぼ休みなく働いていたところに、ポツンと仕事がなくなって、最初のうちは、『あ!休みだね』と(うれしく)正直思っていたが、あまりに長く続くと不安でしかなかった」
このままでは、芸者たちを守れない。
椎名さんは、残った2人の助言もあり、コロナの影響が少ない定食を中心にした店に舵を切りました。
ひでの家・えんや・椎名三枝子さん:
「女の子を抱えてるから、この子たちが生きる道を考えてあげないと。この子たちが食えるようにしてあげないと。この街で芸者やっててみっともないでしょうから、だから何か残してあげたいと思って」
オープンしてまだ8カ月ほどですが「唐揚げがうまい」と評判です。
肉は半年以上かけて考案したというだしに漬けてから温度の違う油で二度揚げ。外はカリッと、中はジューシーに仕上げています。
客:
「来ればだいたい唐揚げです。下味がしっかり効いてて、とてもおいしい」
唐揚げ専門の予定でしたが、リクエストに応えるうちにメニューは20余りに。
鶏肉を薄くのばして揚げたカツが3枚乗ったチキンソースカツ丼は、唐揚げに並ぶ人気メニューです。(680円税込)
ソースカツ丼を食べた客:
「3枚も入っていて食べ応えがあります。安くて量もあって最高」
ひでの家・えんや・椎名三枝子さん:
「何事もなく、無事にいってこられるように。やっぱり親心みたいなもの。いいものですよ、芸者衆が出ていくというのは」
芸者・真珠子さん:
「じゃあ、これから頑張ろうという気持ち。ここからは『さあ、きょうのお座敷はどうしよう』と引き締めて…」
コロナの感染が落ち着くにつれ、芸者の仕事も入るようになりました。
5月31日、夕方―。
この日は近くの旅館でアメリカから来た家族に芸を披露。
踊りの「川中島」では、力強く。
「炭坑節」はみんなで踊って楽しく。
「お座敷あそび」も好評!
アメリカから:
「踊りも素晴らしかったし、ギター(三味線)のリズムは良かった。踊って楽しかったし、お座敷あそびも最高だった」
「踊りを教わって踊れてよかった。妻にお座敷あそびで負けて悔しい」
亀清旅館 主人・タイラー・リンチさん:
「芸者衆が現役でいるのは、戸倉上山田温泉にとっても宝物だと思っているので、積極的にお客さんに案内して30分の芸妓(げいぎ)ショーの回数を増やすという努力をしている」
芸者・真珠子さん:
「コロナでぱったりとなくなってしまった中で、どうやって生きていこうっていう試行錯誤もありましたけど、お昼も一生懸命動けるし、夜は夜でいろいろな方に会ってお話が聞ける。とても今、幸せです。お母さん(椎名さん)、感謝って感じです。ずっと私たちのことを最優先に考えてくれていて、ありがたいです」
芸者衆を支え、温泉街の文化を守る。
椎名さんは置き屋の女将として、飲食店のオーナーとして当面、「現役続行」です。
ひでの家・えんや・椎名三枝子さん:
「やっぱり芸者を残さないと、この街に。もともと芸者の街でしたから。もう一度、そういう街にしたい。希望としては85、86歳まではこうやって現役でいたいんです。みんなが『もういいよ、お母さん出てこなくて』と言われるまでいようと思います。『もうお母さん邪魔!来ないで!』と言われたら最高」