
特集は、難病の女性画家。全身の筋力が徐々に低下する筋ジストロフィーを患う松本市の画家・森孝子さん。同じく画家の夫のサポートを受けながら制作に励んでいる。
あでやかな雰囲気をまとった女性たち。
森孝子さん(69):
「女性特有の香りとか匂いとか発してくるオーラのようなものを表現した」
描いたのは画家の森孝子さん(69)だ。
森孝子さん:
「指を描くことで女性の表情、心の表現がやっぱり出てくるんですよ」
和紙にアクリル絵の具で描くのが孝子さんのスタイル。松本市で、同じく画家の夫・重樹さん(70)と2人で暮らしている。
集中して絵筆を走らせる孝子さん。実は、全身の筋力が徐々に低下する「筋ジストロフィー」を患っている。
重いものは落としてしまうことがあるため、重樹さんが絵の具の水を替える。
徐々に進行する症状。しかし、創作意欲は衰えていない。
森孝子さん:
「あきらめてないし、自分の絵を見たいと思う人がひとりでもいたら、やっぱり描きたいなと」
孝子さんは京都の出身。実家は呉服店で、幼い頃から絵を描くことが好きだった。
森孝子さん:
「お寺さんとか神社とか多かったから、そこいつも遊びに行ってて、描きたいものを描く」
題材の多くは「女性」。子どもの頃から、よく親族に祇園や先斗町の「お茶屋」に連れられ芸妓(げいこ)や舞子を間近で見てきた。
森孝子さん:
「(控室で)お菓子食べてると、いろんなお姉ちゃんらが入ってくるでしょ。『あぁしんど』って言って足伸ばしてる人とか、失恋で落ち込んでいる人とか、こういうお姉ちゃんら、いろんな感情あんねんなと思って、生身の女、それを描きたいなって」
画家として歩む中、23歳のときに展覧会などを通じて知り合った重樹さんと結婚。
その後も国内外の展覧会に出品して高い評価を受けてきた。
しかし50歳になったころ、突然、体に異変が起きる。
森孝子さん:
「急に階段上れなくなったんですよ。びっくりして、これ何かあるわって思って。今ほどね、ひどくなかったので(検査は)まあええかなって感じでね、考えないようにしてたんです。正直に言うと、怖かったんですね」
2人は重樹さんの出身地・三重県四日市市に暮らしていたが、2018年、重樹さんが絵を描きに度々、訪れていた信州に移住した。
夫・重樹さん(70):
「こちらの方へきて、空気が良くなったら、病気も良くなるよっていうような、そういった気持ちもあったんですけど」
しかし、病は徐々に進行していった。
森孝子さん:
「上の方見るのに、見れへんの、まぶたが重くなってきてて。『おかしいわ』と思って、そしたら主人が『もう信大行こう』と」
診断の結果は、やはり筋ジストロフィー。
覚悟していたとはいえ、受け入れ難い現実だった。
森孝子さん:
「ひとりで涙こぼれたときもあるし、なんでやろなぁ、私なんでこんな病気になったんやろって」
診断後の検査入院。他の患者との交流が、孝子さんを少しずつ変えていった。
森孝子さん:
「末期の方もいらっしゃいましたし、みんな明るいんです。で、優しいの。病室が変わっていく彼女たちを見送って、涙流しながらお互いに『もっとしゃべりたかった』とか言って。一日一日ほんま大事に丁寧に生きないとあかんと思って。泣いている場合とちゃうと思って」
夕食の準備。フライパンや鍋を扱うのは重樹さん。5年ほど前から料理も作るようになった。
「かんぱーい」
夫・重樹さん:
「結構ね、味付けね、才能があるって言われてんの」
森孝子さん:
「(重樹さんは)もうなくてはならない、大切な人です」
5月3日、松本市・井上百貨店―。
この日、2人が訪れたのは、市内のデパートで始まった重樹さんの個展。重樹さんの作品およそ30点の他、孝子さんの作品も8点展示されている。
漢字を書いた和紙を背景に絵を展示。独特な雰囲気を醸している。
今はまぶたの手術をして、目を少し開けることができるが、まぶたにテープを貼って描き上げたという。
森孝子さん:
「真っ赤に目が充血したりとか辛かったけど、でも頑張ろうと。もうきょうが(絵が描ける)最後だと思うんです、毎日が。きょうが最後かもわからへんって」
来場者:
「娘もそう(筋ジストロフィー)だったものですから、どんなかなと思って見にこさせてもらいました。勇気が出ますよね」
「突き動かされるような感じで、すごいなと思いました」
来場者:
「(難病を患っていることを)存じ上げなくて、記事を読んで初めて。素晴らしいですね」
森孝子さん:
「ありがとうございます」
病を受け入れても絵はあきらめない。
創作活動が孝子さんの支えとなっている。
夫・重樹さん:
「(制作中は)苦しさとか、えらさを忘れられるので、やっぱり描いていってほしいですね。描かせないようにすると、私の方に苦情が飛んできそうなので(笑)」
森孝子さん:
「生きているから描くんです、生きている証やから。できるんだっていう、そこを見てほしいかな。こんな私でもやれるよって、みんな、あきらめないでねってことです」
あでやかな雰囲気をまとった女性たち。
森孝子さん(69):
「女性特有の香りとか匂いとか発してくるオーラのようなものを表現した」
描いたのは画家の森孝子さん(69)だ。
森孝子さん:
「指を描くことで女性の表情、心の表現がやっぱり出てくるんですよ」
和紙にアクリル絵の具で描くのが孝子さんのスタイル。松本市で、同じく画家の夫・重樹さん(70)と2人で暮らしている。
集中して絵筆を走らせる孝子さん。実は、全身の筋力が徐々に低下する「筋ジストロフィー」を患っている。
重いものは落としてしまうことがあるため、重樹さんが絵の具の水を替える。
徐々に進行する症状。しかし、創作意欲は衰えていない。
森孝子さん:
「あきらめてないし、自分の絵を見たいと思う人がひとりでもいたら、やっぱり描きたいなと」
孝子さんは京都の出身。実家は呉服店で、幼い頃から絵を描くことが好きだった。
森孝子さん:
「お寺さんとか神社とか多かったから、そこいつも遊びに行ってて、描きたいものを描く」
題材の多くは「女性」。子どもの頃から、よく親族に祇園や先斗町の「お茶屋」に連れられ芸妓(げいこ)や舞子を間近で見てきた。
森孝子さん:
「(控室で)お菓子食べてると、いろんなお姉ちゃんらが入ってくるでしょ。『あぁしんど』って言って足伸ばしてる人とか、失恋で落ち込んでいる人とか、こういうお姉ちゃんら、いろんな感情あんねんなと思って、生身の女、それを描きたいなって」
画家として歩む中、23歳のときに展覧会などを通じて知り合った重樹さんと結婚。
その後も国内外の展覧会に出品して高い評価を受けてきた。
しかし50歳になったころ、突然、体に異変が起きる。
森孝子さん:
「急に階段上れなくなったんですよ。びっくりして、これ何かあるわって思って。今ほどね、ひどくなかったので(検査は)まあええかなって感じでね、考えないようにしてたんです。正直に言うと、怖かったんですね」
2人は重樹さんの出身地・三重県四日市市に暮らしていたが、2018年、重樹さんが絵を描きに度々、訪れていた信州に移住した。
夫・重樹さん(70):
「こちらの方へきて、空気が良くなったら、病気も良くなるよっていうような、そういった気持ちもあったんですけど」
しかし、病は徐々に進行していった。
森孝子さん:
「上の方見るのに、見れへんの、まぶたが重くなってきてて。『おかしいわ』と思って、そしたら主人が『もう信大行こう』と」
診断の結果は、やはり筋ジストロフィー。
覚悟していたとはいえ、受け入れ難い現実だった。
森孝子さん:
「ひとりで涙こぼれたときもあるし、なんでやろなぁ、私なんでこんな病気になったんやろって」
診断後の検査入院。他の患者との交流が、孝子さんを少しずつ変えていった。
森孝子さん:
「末期の方もいらっしゃいましたし、みんな明るいんです。で、優しいの。病室が変わっていく彼女たちを見送って、涙流しながらお互いに『もっとしゃべりたかった』とか言って。一日一日ほんま大事に丁寧に生きないとあかんと思って。泣いている場合とちゃうと思って」
夕食の準備。フライパンや鍋を扱うのは重樹さん。5年ほど前から料理も作るようになった。
「かんぱーい」
夫・重樹さん:
「結構ね、味付けね、才能があるって言われてんの」
森孝子さん:
「(重樹さんは)もうなくてはならない、大切な人です」
5月3日、松本市・井上百貨店―。
この日、2人が訪れたのは、市内のデパートで始まった重樹さんの個展。重樹さんの作品およそ30点の他、孝子さんの作品も8点展示されている。
漢字を書いた和紙を背景に絵を展示。独特な雰囲気を醸している。
今はまぶたの手術をして、目を少し開けることができるが、まぶたにテープを貼って描き上げたという。
森孝子さん:
「真っ赤に目が充血したりとか辛かったけど、でも頑張ろうと。もうきょうが(絵が描ける)最後だと思うんです、毎日が。きょうが最後かもわからへんって」
来場者:
「娘もそう(筋ジストロフィー)だったものですから、どんなかなと思って見にこさせてもらいました。勇気が出ますよね」
「突き動かされるような感じで、すごいなと思いました」
来場者:
「(難病を患っていることを)存じ上げなくて、記事を読んで初めて。素晴らしいですね」
森孝子さん:
「ありがとうございます」
病を受け入れても絵はあきらめない。
創作活動が孝子さんの支えとなっている。
夫・重樹さん:
「(制作中は)苦しさとか、えらさを忘れられるので、やっぱり描いていってほしいですね。描かせないようにすると、私の方に苦情が飛んできそうなので(笑)」
森孝子さん:
「生きているから描くんです、生きている証やから。できるんだっていう、そこを見てほしいかな。こんな私でもやれるよって、みんな、あきらめないでねってことです」