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“住民の笑顔が生きがい” 妻亡くし一念発起 83歳男性が手づくり「レジャーランド」

特集は「憩いの場」。長野県千曲市の83歳の男性が、地域のお年寄りたちの交流の場になればと「レジャーランド」をオープンさせた。きっかけの一つが2022年、妻を亡くしたこと。今は住民の笑顔が生きがいとなっている。

千曲市のかつて工場だった建物。今は「レジャーランド」と書かれた看板が掲げられている。

中から聞こえてくるのは―。

地域のシニアたちが「ボッチャ」を楽しんでいた。

ボッチャは2つのチームがボールを投げ合って、的となる白いボールにどれだけ近づけられるかを競うスポーツだ。

3月オープンした「ミニレジャーランド米生」。施設内には他に、マレットゴルフやゲートボールの練習コートがあり、そして、ピンボールの一種「スマートボール」の台も。

利用者(83歳):
「いいおもちゃだな(笑)たまげたな」

これらの設備を全て1人で手づくりしたのが、米沢生久さん83歳だ。

自身が代表を務める車いす製造販売会社の施設を改装した。

ミニレジャーランド米生・米沢生久さん(83):
「家にいるだけでは健康に本当に良くないし、こういうところに来てお友達・同じ年代の人と接するだけでも大きな違い。地域の皆さんが集える居場所づくりにしたいなと」

地域住民が集うレジャーランドを―。

米沢さんがそう思い立ったのは2022年、大切な人を失ったことがきっかけだった。

市内の金型製造会社に勤務していた米沢さん。1964年、同僚だったけさ子さんと結婚。3人の娘をもうけた。

米沢さんは45歳で会社を辞め、独立。エノキ栽培や車いす関係の会社を立ち上げた。

ミニレジャーランド米生・米沢生久さん
「(けさ子さんは優しい方?)はい、何一つ不平を言うわけじゃなし、よくついてきてくれた」

けさ子さんは旅行好き。娘たちが結婚して家を離れてからは、まとまった休みのたび、2人でよく出かけた。

ミニレジャーランド米生・米沢生久さん
「(思い出は)数えきれないほど。日本中、旅行もしてきました」

その後、けさ子さんに尿管がんが発覚。およそ10年の闘病生活の末、2022年10月、亡くなった。

ミニレジャーランド米生・米沢生久さん
「(亡くなったときは)安らかな顔でさ。(生まれ変わっても)一緒になれるものならね、これはわからないね」

米沢さんはひとり暮らしに。仕事はほとんどしておらず、家で過ごす時間が長くなった。

手持ち無沙汰の日々を送る中、米沢さんは自分と同じような境遇の人は多いのではと考えるようになった。

ミニレジャーランド米生・米沢生久さん
「みんな家で何してるんだろうと、こういうふうに考えるともう居ても立ってもいられないし、お年寄りが集う場所を公共に頼るのではなくして、全部自分で考えて、それで手づくりして」

米沢さんは10年以上使っていなかった工場を3カ月かけて「ミニレジャーランド」に改装。

自身が市のボッチャ協会に加入したこともありコートを設けた。

ボッチャは幅広い年代で楽しめるスポーツ。この日は、協会のメンバーや米沢さんが招いた近所の人たちも訪れた。

近くの住民(80代):
「みんな近くだし、近所のお年寄りも集まってくるし、普段話したことない人とも話できるし、やっぱ楽しいですよね」
「お父さん(夫)亡くなっているから、私ひとり暮らし。毎日さみしいけど、そんなこと言ってられないからね。(こういう場所、どう思う?)良いですね。楽しかったです」

憩いの場になればと机とソファーも置き、コーヒーやお茶を飲めるスペースも設けた。

手づくりの「スマートボール」も好評だ。

近くの住民(75):
「(妻を)亡くしちゃってさ、息子と2人で(暮らしている)。家にいるよりずっと、こういうところ来れば友達とかできるからいいと思う」

ボッチャの協会員(70代):
「私たちもここに来て、(近所の)皆さんと別のつながりができて、すごく楽しいです。もうね、来るのが楽しみ」

4月12日から協会の「ホームコート」になったが、一般の利用も受け付けている。(1日200円、月額600円)

笑顔が絶えない「ミニレジャーランド米生」。

米沢さんに、妻と歩んだ日々のような充実した生活が戻った。

ミニレジャーランド米生・米沢生久さん
「来てもらった顔見ると、本当にうれしいね。人が喜べばいいだ、これが生きがい。(けさ子さんはどのように見守っている?)喜んでいると思います。『もっとやれ』と、『みんなのためになるなら、もっとやれ』と言うと思います」
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