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なぜ信州に?駒ヶ根の「カレー工場」に潜入!初の国産カレー粉販売の大阪の老舗「豊富な水に着目」

特集は「カレー工場」。日本初の国産カレー粉を作った大阪の老舗メーカーの工場が長野県駒ヶ根市にある。なぜ遠く離れた信州に工場を構えたのか。その理由を探るべくカメラが工場の中へ入った。

もはや「国民食」とも言えるカレーライス。その人気定着に大きく貢献した企業の工場が信州にある。

ハチ食品の駒ヶ根工場だ。大阪に本社を置くハチ食品。商品は県内の一部スーパーでも売られている他、いわゆる「OEM生産」で他社ブランドの商品も手掛けており、多くの人が口にしているはずだ。

ハチ食品の始まりは江戸時代の薬種問屋。漢方薬になるウコン、つまりターメリックを扱っていたことから明治38年(1905)に初の国産カレー粉を販売。当時の経営者が黄金色に光るハチを見て感動したことから、「蜂カレー」と命名された。

それから118年。主力のレトルト商品を生産する駒ヶ根工場は、ハチ食品の大事な生産拠点となっている。

ハチ食品・高橋慎一社長:
「(駒ヶ根工場は)ハチ食品という会社を支える柱になっているし、レトルト食品業界を大きく支えているという自負がある」

今回、特別に工場でレトルトカレーができるまでを取材させてもらった。

まずルウ作り。ラードと小麦粉、自社製のカレー粉を混ぜる。一旦、冷やして固めたルウを今度は大きな釜へ。

野菜などと一緒に煮込み1トンから1.5トンものカレーソースを一気に作る。具材の計量はコンピューター制御。

そして…

ハチ食品 駒ヶ根工場・小沢幸治工場長:
「こちらが、充填機という機械。レトルトパウチにソース、具材を入れて封をするまでの工程」

充填機でカレーソースと具材をパウチに封入。1分間に70袋、1日18時間の稼働でおよそ25万袋を製造している。

ハチ食品のビーフカレー(希望小売価格545円税別)を試食―。

(記者リポート)
「どこかなつかしさを感じる家庭的で優しい味なんですが、じっくりと煮込まれたコクとうま味が感じられて、これはご飯が進みます」

出来上がった商品は駒ヶ根から全国へ。

ここで疑問が生じる。なぜ関東・関西の大都市圏から離れた駒ヶ根に工場を造ったのか。社長に理由を尋ねた。

ハチ食品・高橋慎一社長:
「やはり一番大きかったのは『水』。レトルト食品というのは殺菌、冷却するのにも大量に水を使う。水が枯渇しない所でないと成り立たないというのが一番大きい」

中央アルプスの雪解け水が流れ込む駒ヶ根は、地下水に恵まれた地域。工場建設はそれに着目したものだった。

まず大量の水が必要になるのが「殺菌」。

ハチ食品 駒ヶ根工場・小沢幸治工場長:
「この槽の中に水を貯めて製品を熱水(で殺菌))する仕組み」

熱水式殺菌機は圧力を加えた120℃の熱水で殺菌する。「洗浄」でも大量の水を使う。工場では100種類を超える商品を10基の釜で製造しているため、アレルゲンや着色の対策として、釜の洗浄が欠かせない。

ハチ食品 駒ヶ根工場・小沢幸治工場長:
「1回(の洗浄)で200~300リットルは水を使う。(1日で)2トンから3トンくらい1つの釜で使うときがある」

工場で使う水は、全て近くからくみ上げた井戸水だ。

ハチ食品 駒ヶ根工場・小沢幸治工場長:
「きれいな水でこちらのレトルト製品を作っているので、かなり重要な水の資源」

豊富な水の力で作り出される「駒ヶ根産」のレトルトカレー。実は会社の躍進を支える商品となっている。

高度経済成長期、売れ筋がカレー粉からカレールウへと変わり、大手が売り上げを伸ばす中、ハチ食品は自社ブランドだけでは太刀打ちできず、1970年代以降、OEMが事業の主力になっていた。

その状況を打破しようと、新しい分野だった「レトルト」に力を入れることにした。

ハチ食品・高橋慎一社長:
「大手の下請けのPBやOEMだけでは、もうからない…。そこで一つ、次の一手というのを経営者が考えた末に、レトルト食品への進出を決めたのだと思う」

1990年、オリジナル商品「カレー専門店のビーフカレー」を発売。(希望小売価格175円税別)これが西日本を中心にヒット。新たな工場が必要となり2000年、水が豊富な駒ヶ根に進出したということだ。

その後も通常の2人前の「メガ盛りカレー」やパスタソースなどのレトルト商品が牽引し、売り上げは順調に伸びている。今では売り上げの45%を駒ヶ根工場の商品が占めているということだ。

ハチ食品・高橋慎一社長:
「もう敷地がなくて、ここをどう拡張するかという次の課題に取り組んでいる。景観が豊かなところ、ここをもっと生かして(今後は)付加価値の高い商品を作っていることを積極的にPRしたい」

老舗カレー粉メーカーの主力商品。

作り出しているのは、信州の恵まれた自然を生かした工場だった。
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