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「全国一」の味噌が復活!その名も『復酵』 台風19号で被災した長野の味噌蔵3年の歩み

味噌の復活です。3年前の台風で大きな被害を受けた長野市の味噌蔵が、鑑評会に出していて難を逃れた味噌の「菌」を使って、被災後、最初の仕込みをしました。復活した味噌の名は「復酵」(ふっこう)です。

2022年12月11日、長野市で開かれたイベント。台風19号で被災した「小川醸造場」の再生と味噌の復活を祝って、支援してきた団体などが開催したものです。復活した味噌は「復酵」と名付けられました。

小川醸造場・小川泰祐さん:
「被災から3年たって、何とか味噌蔵を立て直して、こうやって販売できる日を迎えられたということで、一つの峠をやっと越せたのかな」

2019年10月、台風による増水で千曲川の堤防が決壊。味噌蔵は濁流にのまれ、器材も仕込み中の味噌も全て流されました。

小川醸造場・小川泰祐さん(当時):
「目の前で起きていることが現実だと理解できなかったですよね。驚きと恐怖でぼうぜんとして眺めていた」

被災後、蔵には全国からボランティアや味噌のファンが駆けつけ、片付けをサポート。小川さんを勇気づけました。

しかし、蔵は全壊。器材も水につかり、もう使えません。収穫目前だった河川敷の大豆も無残な状況に…。

小川醸造場・小川泰祐さん(当時):
「時間は相当かかりそうなんですけど、できることを少しずつ、一歩一歩やりながらそれに向かって進んでいく…」

そうした中、朗報が飛び込んできました。被災前、鑑評会に出していた味噌が「農林水産大臣賞」に輝いたのです。それは味噌造りを続ける上での希望の光ともなりました。

味噌の風味を左右するのは長年、蔵に息づいてきた「蔵付き」と呼ばれる酵母菌です。濁流で味噌も菌も失われましたが、出品していたわずかな味噌から、県工業技術総合センターが「蔵付き」の培養を試みてくれることになったのです。

親戚の家に身を寄せながら小川さんは工場の再建を進めました。

小川醸造場・小川泰祐さん(当時):
「1年前は泥の中で、こうやって新しいきれいな柱が立っているということは、その当時は考えられなかったし、やっと始まったかなって」

以前と同じように大豆の栽培も。「蔵のために」と市立長野中学校の1年生が種まきや収穫を手伝ってくれました。

市立長野中の生徒(当時):
「こんなに大きく育ってくれたので、復興の一歩になったのかなと思います」

2021年春、工場が完成。「蔵付き」を培養して仕込んだ味噌の試作品も数種類、届いていました。

小川醸造場・小川泰祐さん(2021年4月):
「実際にうちで味噌汁を朝昼晩使ってみて、結論って感じかな。本当に納得できるような味噌ができてくるには、まだもうちょっとかかりそうですね。あと、さらに1、2年は必要じゃないかな」

復活まであと一歩。取り組みを支援しようとNPO法人などが、クラウドファンディングで180万円ほどを集め、大豆の選別機を贈ってくれました。こうした支援もあって小川さんはこの年のうちに、少量ですが、味噌の出荷にこぎつけました。

2022年春、再び工場を訪ねると、生き生きと働く小川さん。本格的な味噌造りに向けて、米麹の仕込みが始まっていました。米を蒸したら、以前と同じように妻・京子さんと二人三脚の作業。風を当てながら一気にほぐし、体温程度になったら種麹を振りかけます。

小川醸造場・小川泰祐さん(2022年4月):
「醸造物って、麹づくりが一番原点になっていて、やはり、どういう麹をつくるか」

よく混ざったら新しい「麹室」へ。

小川醸造場・小川泰祐さん(2022年4月):
「以前も杉の板でつくられていたので、それと同じように。余計な水分は吸ってくれるし、乾燥気味の時は調整してくれる」

微生物と向き合う味噌造り。小川さんに職人の目つき・手つきが戻っていました。

6月、いよいよ、「蔵付き」を使った味噌の仕込みを迎えました。蒸してすり潰した大豆に、米麹と塩を混ぜ合わせて、さらに「蔵付き」を加えます。あとは熟成。

仕込みから半年、蔵付きで仕込んだ味噌が完成しました。

小川醸造場・小川泰祐さん:
「再び分離してもらった蔵付き酵母で発酵させた味噌ということで、『復酵』という名前。発酵で復興、という意味も込めまして」

小川さんは「復酵」を鑑評会に出品しました。すると、2位にあたる「農林水産省大臣官房長賞」を受賞。品質の高さが改めて証明されました。

市立長野中の生徒:
「味噌、売ってまーす。よかったらどーぞ」

2022年12月のイベントで「復酵」を販売。多くの人が買い求めていました。

長沼の住民:
「うれしいです、私も長沼なので。ずっと頑張ってくださいって思います」

市内から:
「大変な思いをされたと思うんですけど、また味噌ができるようになって本当に良かったなと」

大豆の栽培で復活を後押しした生徒たちは…

市立長野中の生徒:
「こうやって復活して味噌が出来上がるってすごいことだなって」
「たくさんの方に買っていただいて、おいしく食べてほしいです」

持ち込んだ100袋は売り切れました。

小川醸造場・小川泰祐さん:
「災害で失ったものはとても大きいものでしたが、それを克服しようともがく中で人と出会い、自分の弱さを知り、人の温かさを知ることができました。3年間、本当にありがとうございました」

壊滅的な被害から3年。多くの人たちに支えられ復活した味噌。小川さんは味噌造りと復興を目指す地域の姿を重ね合わせています。

小川醸造場・小川泰祐さん:
「時間をかけながら、少しずつ…。味噌造りも一緒なんですけど、残された大事なものを生かしながら、地域づくりをしていくということも、ひとつ大事なことじゃないかな」
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