
長野市街地の純喫茶です。昭和の雰囲気が漂う店は、名物マスターと手の込んだランチでコロナ禍も人気。客にとっても、マスターにとっても、大事な場所となっている店に密着しました。
アイスクリームたっぷりの色鮮やかな「クリームソーダ」。コーヒーは年季の入ったフラスコでいれるサイフォン式です。懐かしい「昭和」の雰囲気が漂う店内。長野市の権堂アーケードの東側・西鶴賀商店街にある「珈琲館 珈香」です。
調理も、接客も、全てマスターの久保田富夫さん(62)が一人でこなしています。
20年来の常連客:
「マスターに会いに来てます。必ずお店を出るときに『いってらっしゃい』と言ってくれるので、頑張れます」
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「またな。気を付けて行けよ。いってらっしゃい」
店を出る客に声をかけるのが、久保田さんのこだわりです。
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「いろんなお店がある中でここを選んでくれて、感謝の気持ちで。また職場に戻ったりするわけだから、家を出るときと同じ感覚」
店を構えて44年。当時と変わらぬ時間が流れています。
母・和美さんと店を始めたのは1978(昭和53)年。久保田さんは19歳でした。続く80年代は喫茶店最盛期と言われた時代。ただ、通常の店と営業スタイルは異なったと言います。
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「この街自体が夜の街だから、夕方から夜にかけては忙しかった。仕事前の午後起きのコーヒーみたいな。昔は午前9時から夜の8時9時くらいまでだった」
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「こんなのまであったんだね。今作れと言われても作れない」
土地柄、メインの客層は「大人」の男女。パフェやクリームソーダはあまり売れず、メニューからなくしたと言います。その後、繁華街に元気がなくなり客層も変化。今は朝7時半から夕方4時半までの営業です。以前に比べて「モーニング」の需要が増えています。
名古屋から出張:
「ボリュームがあっていいと思います、彩りもきれいで」
厨房では日替わりランチの準備が始まっていました。今でこそ看板メニューですが、2000年ごろに外食の多様化で経営が厳しくなったため始めたということです。
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「今、カフェは人気はあるけども、そんな言葉がなくなってしまうくらい衰退した時期があった。当時は簡単に言うとランチなんかやらなくても生活できた。サンドイッチがあって、適当なカレーがあって、パスタがあってという形であれば回っていた。(2000年ごろから)それでは回らない」
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「ニンジンでドレッシングを作って、あとはアンチョビとキャベツのパスタを作って」
日替わりランチは手が込んでいると評判です。
千曲市から:
「毎回、違うんですよね。元気がないときに食べると元気がでる」
20年来の常連客:
「創作料理を出してくれるから飽きなくて、いつも楽しみに」
食後はコーヒーで、ゆっくり…。
5年ほど前に懐かしさもあってクリームソーダを復活。すると「昭和レトロブーム」と重なり、若者の来店が増えたと言います。
時代の変化に対応してきた店。変わらないものもあります。
千曲市から:
「気さくで優しく声かけてくれたり、店出る時も『いってらっしゃい』と言ってくれれば、また来週も頑張れるなと」
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「お前には『いってらっしゃい』なんて言ったことないよ(笑)」
千曲市から:
「空耳だった(笑)」
マスターの人柄に引かれて通う客が大勢います。こちらの女性は近くの会社に入社して以来の常連客です。
常連客:
「(昔から)マスターの気さくさは一緒、いつもね。コーヒーがおいしいので来たくなってしまう。午後、毎回頑張ろうという時に『いってらっしゃい』と送り出してもらうと、頑張ってやれるかなと」
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「仕事場と言えばそれまでだけど、それは超えている。お客さんに育ててもらっているという感じ」
この日は帰省中の娘たちが孫を連れて来店。
長女・紗耶佳さん:
「昔と変わらない感じでほっとしました」
2008年に母親が亡くなってから一人で切り盛りしてきた久保田さん。2021年、肺炎を患い1カ月半ほど入院しました。元気な様子に娘たちは安心した様子です。
次女・愛小羊さん:
「何より仕事が好きなので、家にいてもあしたのランチのメニュー何にしようかなと考えていたり。逆に父から(仕事を)とってしまうとつまらない人生だと思うので、できる限りお客さまに支えてもらいながら、末永く細々とやってほしいなと」
体調や年齢を考え、定休日を週2日に増やしたという久保田さん。客と自身の大切な場所をこれからも守っていく覚悟です。
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「電気をつけて、音楽流して、お湯を沸かしてとなると、心臓の鼓動ではないけど1日が本当にスタートする。店はそれくらい大事なところ。創業50年は最低でもやりたいなと。あと6年。あとは体が続く限り。難しい食事ができなくなればコーヒーだけで、常連さんも年齢が上がってくるのでゆったり話しながら仕事ができればなと」
アイスクリームたっぷりの色鮮やかな「クリームソーダ」。コーヒーは年季の入ったフラスコでいれるサイフォン式です。懐かしい「昭和」の雰囲気が漂う店内。長野市の権堂アーケードの東側・西鶴賀商店街にある「珈琲館 珈香」です。
調理も、接客も、全てマスターの久保田富夫さん(62)が一人でこなしています。
20年来の常連客:
「マスターに会いに来てます。必ずお店を出るときに『いってらっしゃい』と言ってくれるので、頑張れます」
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「またな。気を付けて行けよ。いってらっしゃい」
店を出る客に声をかけるのが、久保田さんのこだわりです。
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「いろんなお店がある中でここを選んでくれて、感謝の気持ちで。また職場に戻ったりするわけだから、家を出るときと同じ感覚」
店を構えて44年。当時と変わらぬ時間が流れています。
母・和美さんと店を始めたのは1978(昭和53)年。久保田さんは19歳でした。続く80年代は喫茶店最盛期と言われた時代。ただ、通常の店と営業スタイルは異なったと言います。
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「この街自体が夜の街だから、夕方から夜にかけては忙しかった。仕事前の午後起きのコーヒーみたいな。昔は午前9時から夜の8時9時くらいまでだった」
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「こんなのまであったんだね。今作れと言われても作れない」
土地柄、メインの客層は「大人」の男女。パフェやクリームソーダはあまり売れず、メニューからなくしたと言います。その後、繁華街に元気がなくなり客層も変化。今は朝7時半から夕方4時半までの営業です。以前に比べて「モーニング」の需要が増えています。
名古屋から出張:
「ボリュームがあっていいと思います、彩りもきれいで」
厨房では日替わりランチの準備が始まっていました。今でこそ看板メニューですが、2000年ごろに外食の多様化で経営が厳しくなったため始めたということです。
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「今、カフェは人気はあるけども、そんな言葉がなくなってしまうくらい衰退した時期があった。当時は簡単に言うとランチなんかやらなくても生活できた。サンドイッチがあって、適当なカレーがあって、パスタがあってという形であれば回っていた。(2000年ごろから)それでは回らない」
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「ニンジンでドレッシングを作って、あとはアンチョビとキャベツのパスタを作って」
日替わりランチは手が込んでいると評判です。
千曲市から:
「毎回、違うんですよね。元気がないときに食べると元気がでる」
20年来の常連客:
「創作料理を出してくれるから飽きなくて、いつも楽しみに」
食後はコーヒーで、ゆっくり…。
5年ほど前に懐かしさもあってクリームソーダを復活。すると「昭和レトロブーム」と重なり、若者の来店が増えたと言います。
時代の変化に対応してきた店。変わらないものもあります。
千曲市から:
「気さくで優しく声かけてくれたり、店出る時も『いってらっしゃい』と言ってくれれば、また来週も頑張れるなと」
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「お前には『いってらっしゃい』なんて言ったことないよ(笑)」
千曲市から:
「空耳だった(笑)」
マスターの人柄に引かれて通う客が大勢います。こちらの女性は近くの会社に入社して以来の常連客です。
常連客:
「(昔から)マスターの気さくさは一緒、いつもね。コーヒーがおいしいので来たくなってしまう。午後、毎回頑張ろうという時に『いってらっしゃい』と送り出してもらうと、頑張ってやれるかなと」
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「仕事場と言えばそれまでだけど、それは超えている。お客さんに育ててもらっているという感じ」
この日は帰省中の娘たちが孫を連れて来店。
長女・紗耶佳さん:
「昔と変わらない感じでほっとしました」
2008年に母親が亡くなってから一人で切り盛りしてきた久保田さん。2021年、肺炎を患い1カ月半ほど入院しました。元気な様子に娘たちは安心した様子です。
次女・愛小羊さん:
「何より仕事が好きなので、家にいてもあしたのランチのメニュー何にしようかなと考えていたり。逆に父から(仕事を)とってしまうとつまらない人生だと思うので、できる限りお客さまに支えてもらいながら、末永く細々とやってほしいなと」
体調や年齢を考え、定休日を週2日に増やしたという久保田さん。客と自身の大切な場所をこれからも守っていく覚悟です。
珈琲館 珈香・久保田富夫さん:
「電気をつけて、音楽流して、お湯を沸かしてとなると、心臓の鼓動ではないけど1日が本当にスタートする。店はそれくらい大事なところ。創業50年は最低でもやりたいなと。あと6年。あとは体が続く限り。難しい食事ができなくなればコーヒーだけで、常連さんも年齢が上がってくるのでゆったり話しながら仕事ができればなと」