
人生の第二幕。プロ野球の広島東洋カープでキャッチャーとして活躍した男性が、長野県諏訪市で居酒屋を営んでいます。野球の指導もしながら、信州で第ニの人生に奮闘中です。
諏訪市大手の居酒屋「五ヱ門」。鶏の半身を豪快に揚げた「五ヱ門焼」。名前の由来は定かではありませんが、店の名物で客はかぶりついたり、むしったりして食べます。
常連客:
「最高です。くせになりますね」
店主は木村一喜さん44歳。4年前、先代の伯母から店を継ぎ、週末のみ営業しています。
木村一喜さん:
「こだわりは味だけなので、そこだけ変えないように。おいしく食べていただければ、愛情入りで」
野球ファンなら木村さんの顔に見覚えのある人も多いはず。実は木村さん、プロ野球・広島東洋カープの元キャッチャー。背番号は…。
木村一喜さん:
「(当時ヤクルトの)古田さんも27番をつけてたので、即座に27に。憧れですね。(現役時代と体重が)15kgぐらい違う、すごいぶかぶか…」
現役引退から今年で14年になります。木村さんはお隣・山梨県の出身。野球は小学4年から始めました。
木村一喜さん:
「好きなポジションつけって言われたけど、キャッチャーのポジションしか空いてなくて、そこからずっとキャッチャー」
その後、山梨の強豪・帝京第三高校へ進み、1年生から「4番・キャッチャー」でレギュラーに定着。ただ最後の夏は県大会決勝で山梨学院に敗れ、甲子園の土は踏めませんでした。
木村一喜さん:
「僕の人生の中でトップというか、甲子園もそうだし、日本通運でも準優勝だし、ドラフトも2位だし、1位があまり縁がなくて、逆に自分の成長の手助けに。これじゃいけないんだなっていうのがあったかな」
社会人でも活躍し、1999年、いよいよプロの世界へ。ドラフト2位で憧れの赤ヘル軍団に入りました。
木村一喜さん:
「『逆指名』させてもらって、自分の名前が呼ばれた時はうれしかったし、よしやろうという気持ちになった」
打撃も買われ、1軍に定着するようになり、3年目は109試合に出場。打率3割1分4厘の「打てるキャッチャー」として活躍しました。
一番の思い出は、後にメジャーでも活躍した黒田博樹さんとバッテリーを組んだ2001年の1安打完封試合。
木村一喜さん:
「(黒田投手は)150km/hのボールも自分の思った所に投げてくれる。あと気迫ですね、相手に勝ちたい気持ちがマウンドでは出てたので、バッテリーというポジションで組めたことがよかった」
ただ、プロの世界は厳しいものだったと振り返ります。
木村一喜さん:
「『結果の世界』ではあるので、けがした時に早く戻りたい気持ちが逆に違うけがを生んでしまう。同じポジションに何人もいますので、けがをすると他の人にチャンスを与えるので、いい選手はけがをしないし、けがしても隠しながらやる人がほとんどなので。僕は(プロに)9年いたけど半分は、けが。肉離れ、骨折、いろいろやってます」
けがに苦しみ年々、出場機会は減少。2008年に東北楽天ゴールデンイーグルスに移り、現役を引退しました。
その後、BCリーグのコーチなどをしていましたが、2017年に転機が訪れます。諏訪で居酒屋を営んでいた伯母・富樫良子さんが亡くなったのです。
木村一喜さん:
「(伯母の料理を)食べたいってお客さんが多かったし、この味は僕も好きだったので、地元の人たちにずっと食べてもらいたい気持ちがあった」
実は引退してから2年ほど店を手伝い、富樫さんから料理を学んでいた木村さん。店を引き継ぎ、コロナ禍の厳しい時期ではありましたが、2021年9月、現在の場所に店を移転し、再スタートを切りました。名物は、1人前500グラム以上という「五エ門焼」。
常連客:
「何とも言えないいい味。あのおばちゃんの味と変わらず、うれしい気持ち。先代の頃から来てる。おばちゃんから木村さんの話は当時、プロ野球選手でいろんな話を聞いた。話しも盛り上がるから、おばちゃん、つい揚げすぎて真っ黒で焦げてんじゃないのってこともあったけど、笑いの絶えないお店だった」
常連客:
「毎週、毎週来て、あの時のおばちゃんの味と違うぞと。辛いの、しょっぱいの、クレームばっかつけて(笑)」
すっかり居酒屋のあるじですが、野球から離れたわけではありません。
7月20日、木村さんは神奈川県厚木市のグラウンドにいました。
木村一喜さん:
「軸足がグッと入ってこないと押せない。だから(バットに)当てるだけになってる」
木村さんは10年ほど前から子どもたちを指導。今は週に1度、神奈川県で「木村野球塾」を開き中学生以下を指導しています。
木村一喜さん:
「(ボールを)見ようとするから、肩のラインを変えちゃだめ」
中学生:
「こうしろ、ああしろじゃなくて、ワンポイントアドバイスなのですごく分かりやすい」
「(所属チームで)最初は試合に出られてなかったけど、出られるようになったり。細かいところも教えてくれるので結構、変わっています」
高校最後の夏は「県大会準優勝」。ドラフトは「2位」。一番の景色を見られなかったからこそ、伝えたいことがあります。
木村一喜さん:
「自分の中で自分に負けないような目標をクリアしていってもらいたいな。(野球は)人生そのものみたいな感じでしょ。いろんな仲間もできたし、助けたり、助けられたりも野球でしたので、本当に野球やってて良かったな」
大好きな野球に携わりながら週末は居酒屋の店主。木村さんは信州を拠点に第二の人生を歩んでいます。
木村一喜さん:
「地域密着とは思ってますので、諏訪の人たちに喜んでもらえるようなお店であればいいかなと思いますし、この味を機会があればどんどん増やしていけたら。(諏訪は)第二の故郷でもありますし、骨をうずめられるようになればいいかな」
諏訪市大手の居酒屋「五ヱ門」。鶏の半身を豪快に揚げた「五ヱ門焼」。名前の由来は定かではありませんが、店の名物で客はかぶりついたり、むしったりして食べます。
常連客:
「最高です。くせになりますね」
店主は木村一喜さん44歳。4年前、先代の伯母から店を継ぎ、週末のみ営業しています。
木村一喜さん:
「こだわりは味だけなので、そこだけ変えないように。おいしく食べていただければ、愛情入りで」
野球ファンなら木村さんの顔に見覚えのある人も多いはず。実は木村さん、プロ野球・広島東洋カープの元キャッチャー。背番号は…。
木村一喜さん:
「(当時ヤクルトの)古田さんも27番をつけてたので、即座に27に。憧れですね。(現役時代と体重が)15kgぐらい違う、すごいぶかぶか…」
現役引退から今年で14年になります。木村さんはお隣・山梨県の出身。野球は小学4年から始めました。
木村一喜さん:
「好きなポジションつけって言われたけど、キャッチャーのポジションしか空いてなくて、そこからずっとキャッチャー」
その後、山梨の強豪・帝京第三高校へ進み、1年生から「4番・キャッチャー」でレギュラーに定着。ただ最後の夏は県大会決勝で山梨学院に敗れ、甲子園の土は踏めませんでした。
木村一喜さん:
「僕の人生の中でトップというか、甲子園もそうだし、日本通運でも準優勝だし、ドラフトも2位だし、1位があまり縁がなくて、逆に自分の成長の手助けに。これじゃいけないんだなっていうのがあったかな」
社会人でも活躍し、1999年、いよいよプロの世界へ。ドラフト2位で憧れの赤ヘル軍団に入りました。
木村一喜さん:
「『逆指名』させてもらって、自分の名前が呼ばれた時はうれしかったし、よしやろうという気持ちになった」
打撃も買われ、1軍に定着するようになり、3年目は109試合に出場。打率3割1分4厘の「打てるキャッチャー」として活躍しました。
一番の思い出は、後にメジャーでも活躍した黒田博樹さんとバッテリーを組んだ2001年の1安打完封試合。
木村一喜さん:
「(黒田投手は)150km/hのボールも自分の思った所に投げてくれる。あと気迫ですね、相手に勝ちたい気持ちがマウンドでは出てたので、バッテリーというポジションで組めたことがよかった」
ただ、プロの世界は厳しいものだったと振り返ります。
木村一喜さん:
「『結果の世界』ではあるので、けがした時に早く戻りたい気持ちが逆に違うけがを生んでしまう。同じポジションに何人もいますので、けがをすると他の人にチャンスを与えるので、いい選手はけがをしないし、けがしても隠しながらやる人がほとんどなので。僕は(プロに)9年いたけど半分は、けが。肉離れ、骨折、いろいろやってます」
けがに苦しみ年々、出場機会は減少。2008年に東北楽天ゴールデンイーグルスに移り、現役を引退しました。
その後、BCリーグのコーチなどをしていましたが、2017年に転機が訪れます。諏訪で居酒屋を営んでいた伯母・富樫良子さんが亡くなったのです。
木村一喜さん:
「(伯母の料理を)食べたいってお客さんが多かったし、この味は僕も好きだったので、地元の人たちにずっと食べてもらいたい気持ちがあった」
実は引退してから2年ほど店を手伝い、富樫さんから料理を学んでいた木村さん。店を引き継ぎ、コロナ禍の厳しい時期ではありましたが、2021年9月、現在の場所に店を移転し、再スタートを切りました。名物は、1人前500グラム以上という「五エ門焼」。
常連客:
「何とも言えないいい味。あのおばちゃんの味と変わらず、うれしい気持ち。先代の頃から来てる。おばちゃんから木村さんの話は当時、プロ野球選手でいろんな話を聞いた。話しも盛り上がるから、おばちゃん、つい揚げすぎて真っ黒で焦げてんじゃないのってこともあったけど、笑いの絶えないお店だった」
常連客:
「毎週、毎週来て、あの時のおばちゃんの味と違うぞと。辛いの、しょっぱいの、クレームばっかつけて(笑)」
すっかり居酒屋のあるじですが、野球から離れたわけではありません。
7月20日、木村さんは神奈川県厚木市のグラウンドにいました。
木村一喜さん:
「軸足がグッと入ってこないと押せない。だから(バットに)当てるだけになってる」
木村さんは10年ほど前から子どもたちを指導。今は週に1度、神奈川県で「木村野球塾」を開き中学生以下を指導しています。
木村一喜さん:
「(ボールを)見ようとするから、肩のラインを変えちゃだめ」
中学生:
「こうしろ、ああしろじゃなくて、ワンポイントアドバイスなのですごく分かりやすい」
「(所属チームで)最初は試合に出られてなかったけど、出られるようになったり。細かいところも教えてくれるので結構、変わっています」
高校最後の夏は「県大会準優勝」。ドラフトは「2位」。一番の景色を見られなかったからこそ、伝えたいことがあります。
木村一喜さん:
「自分の中で自分に負けないような目標をクリアしていってもらいたいな。(野球は)人生そのものみたいな感じでしょ。いろんな仲間もできたし、助けたり、助けられたりも野球でしたので、本当に野球やってて良かったな」
大好きな野球に携わりながら週末は居酒屋の店主。木村さんは信州を拠点に第二の人生を歩んでいます。
木村一喜さん:
「地域密着とは思ってますので、諏訪の人たちに喜んでもらえるようなお店であればいいかなと思いますし、この味を機会があればどんどん増やしていけたら。(諏訪は)第二の故郷でもありますし、骨をうずめられるようになればいいかな」