
特集は、89歳になる長野県内ただ一人の洋傘職人です。店は、長野市の善光寺門前で140年以上続く老舗。今は次男も手伝っていて、伝統の技と洋傘の魅力を親子で守っています。
年季の入ったミシンで縫い合わせているのは、傘の生地です。北沢良洋さん89歳。県内ただ一人の洋傘職人です。ここは善光寺門前の「三河屋洋傘専門店」。北沢さんは3代目の主です。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「腰曲げて歩くの大変だ。職業病だ」
工房を兼ねた店内には、およそ2500本の傘が並べられています。全て手作りで、売れ筋は5000円から1万円の品。最高級の3万円の傘もよく売れるそうです。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「ここまでやれば、あと一息だから」
この日、作っていたのは日傘。兵庫の女性から「思い出の反物で作ってほしい」と依頼がありました。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「これが上手に糸を付けておかないと、みんな取れちゃう。私のは一生、はさみで切らない限り取れない。がっちり付けている」
骨組みに生地をしっかりと固定。きちんと使えば80年は持つと北沢さんは胸を張ります。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「お前の傘を欲しいって言ってくる人が多いものだから、お客さんの言葉で励まされて、とにかくかわいがってもらう傘を、大事にしてもらえる傘を作るべく心掛けている」
北沢さんの家は江戸時代から続く商家でしたが、横浜で洋傘を見た祖父が「これからは和傘ではなく洋傘の時代だ」と、明治10年(1877)に洋傘の製造・販売を始めました。北沢さんは、17歳で先代の父親に弟子入り。洋傘一筋70年です。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「70年もよく飽きないでという人もいるけど、完成の喜び…これがまたものづくりをした人じゃないとわからない」
こちらは2010年の映像。生地の縫い合わせは、主に妻の林子さんが担っていました。今は体調を崩しているため、北沢さんが一人で縫っています。大正時代から店にあるドイツ製のミシン。日本に5台ほどしかないということです。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「機嫌悪いとこうなっちゃう」
扱いの難しいミシンですが、細かな調節ができ、曲線の美しい生地に仕上げることができるそうです。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「(妻が)早く体調が治って、またやってくれることを期待しているけど、彼女にミシンを任せっきりにしておいたから。『俺のいうことを聞いてくれ』と手なずけているところ。これを覚えるのには、時間がかかる」
傘作りの工程は20。ほぼ一人で行っています。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「買ってもらうのはいいけど、持っていかれるときは、お別れが惜しい。私は女の子いないけど、父親が娘を嫁に出すときはこんな気持ちかなってわかる。かわいがってくれよ、大事に使ってくれやなって…」
作業は時に深夜まで及ぶことがあり、最近は次男の良和さんが手伝っています。良和さんは公務員として働いていますが、「いずれは」と心の中で決めています。
次男・良和さん:
「お客さんなのにおみやげを持ってきてくれたり、使ってるよって使った傘を持ってきてくれたり、父の商品を受け止めてくれる人がいるなら、受け継いでいきたい」
この日、勉強の一環で傘の修理を任せられた良和さん。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「違う、逆。違う!ここで抑えて…手加減で覚えて…」
北沢さんは先代から「見て覚えろ、技は盗め」と教わったそうです。良和さんも父の技を見て、身に付けるようにしています。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「いいかもしれないよ。よし、OK!今のところ、まだ2、3点減点。100点満点とはいかないけど、これからもうちょっとね。あまりおだてると危ないから、ちょっと厳しくしておかないと」
次男・良和さん:
「(父は)超えられない人、超えなきゃいけないでしょうけど、たぶん超えられない、そのぐらい大きい人」
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「息子はどう思っているか知らないけど、息子は親を乗り越えて、初めて親孝行。だから親孝行しろと」
6月25日、市内から訪れた男性客。北沢さんの新聞記事を読み、以前から、店の傘を購入したいと思っていたそうです。所狭しと並ぶ傘。なかなか決められません。すると…
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「だんな、やっぱり出世傘だよ」
客:
「これ出世傘っていうの?俺、もう定年だから、そんなに出世しなくてもいいけど(笑)」
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「傘使う人に幸せがくるように、女の人の場合は幸せ、男の場合は出世するように祈りながら作ってる」
迷っていた男性は、北沢さんの「売り文句」が響いたようで男性は傘3本を購入。
客:
「(北沢さんの)傘は80年って書いてあって、私そんなに残りの人生が長くないけど、そんな傘があるのかと思ってきました。これから天気予報も楽しみだね。あした、雨降らないかな」
一時は自分の代で店を閉めようと思っていた北沢さん。店の傘を求めてくれる客、そして息子・良和さんの存在が奮い立たせてくれたと言います。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「こういう仕事は地味だけどお客さんに喜ばれる。『お母さんが使っていたものを私が使えるわ』とか、ものすごく喜ばれるから、喜びを感じる仕事っていいよ。頑張れよ」
次男・良和さん:
「ありがとうございます」
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「私ももう数えで90歳ですから、あと何年できるかわからないけど、死ぬまで針のめどの通る間は絶対、仕事を続けて。ものづくりっていうのは、命がけでやらないと、本当の味は出てこない。自分の気持ち、愛情、技術、全部そこにぶちこむ。針一本、糸一本かもしれないけど、思いは愛で通っている」
なお、北沢さんによりますと、傘を長持ちさせる方法は「日陰でよく干すこと」「ステッキのようにつかない」「強い風に注意」「回さない」など4つのポイントがあるということです。
年季の入ったミシンで縫い合わせているのは、傘の生地です。北沢良洋さん89歳。県内ただ一人の洋傘職人です。ここは善光寺門前の「三河屋洋傘専門店」。北沢さんは3代目の主です。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「腰曲げて歩くの大変だ。職業病だ」
工房を兼ねた店内には、およそ2500本の傘が並べられています。全て手作りで、売れ筋は5000円から1万円の品。最高級の3万円の傘もよく売れるそうです。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「ここまでやれば、あと一息だから」
この日、作っていたのは日傘。兵庫の女性から「思い出の反物で作ってほしい」と依頼がありました。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「これが上手に糸を付けておかないと、みんな取れちゃう。私のは一生、はさみで切らない限り取れない。がっちり付けている」
骨組みに生地をしっかりと固定。きちんと使えば80年は持つと北沢さんは胸を張ります。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「お前の傘を欲しいって言ってくる人が多いものだから、お客さんの言葉で励まされて、とにかくかわいがってもらう傘を、大事にしてもらえる傘を作るべく心掛けている」
北沢さんの家は江戸時代から続く商家でしたが、横浜で洋傘を見た祖父が「これからは和傘ではなく洋傘の時代だ」と、明治10年(1877)に洋傘の製造・販売を始めました。北沢さんは、17歳で先代の父親に弟子入り。洋傘一筋70年です。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「70年もよく飽きないでという人もいるけど、完成の喜び…これがまたものづくりをした人じゃないとわからない」
こちらは2010年の映像。生地の縫い合わせは、主に妻の林子さんが担っていました。今は体調を崩しているため、北沢さんが一人で縫っています。大正時代から店にあるドイツ製のミシン。日本に5台ほどしかないということです。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「機嫌悪いとこうなっちゃう」
扱いの難しいミシンですが、細かな調節ができ、曲線の美しい生地に仕上げることができるそうです。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「(妻が)早く体調が治って、またやってくれることを期待しているけど、彼女にミシンを任せっきりにしておいたから。『俺のいうことを聞いてくれ』と手なずけているところ。これを覚えるのには、時間がかかる」
傘作りの工程は20。ほぼ一人で行っています。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「買ってもらうのはいいけど、持っていかれるときは、お別れが惜しい。私は女の子いないけど、父親が娘を嫁に出すときはこんな気持ちかなってわかる。かわいがってくれよ、大事に使ってくれやなって…」
作業は時に深夜まで及ぶことがあり、最近は次男の良和さんが手伝っています。良和さんは公務員として働いていますが、「いずれは」と心の中で決めています。
次男・良和さん:
「お客さんなのにおみやげを持ってきてくれたり、使ってるよって使った傘を持ってきてくれたり、父の商品を受け止めてくれる人がいるなら、受け継いでいきたい」
この日、勉強の一環で傘の修理を任せられた良和さん。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「違う、逆。違う!ここで抑えて…手加減で覚えて…」
北沢さんは先代から「見て覚えろ、技は盗め」と教わったそうです。良和さんも父の技を見て、身に付けるようにしています。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「いいかもしれないよ。よし、OK!今のところ、まだ2、3点減点。100点満点とはいかないけど、これからもうちょっとね。あまりおだてると危ないから、ちょっと厳しくしておかないと」
次男・良和さん:
「(父は)超えられない人、超えなきゃいけないでしょうけど、たぶん超えられない、そのぐらい大きい人」
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「息子はどう思っているか知らないけど、息子は親を乗り越えて、初めて親孝行。だから親孝行しろと」
6月25日、市内から訪れた男性客。北沢さんの新聞記事を読み、以前から、店の傘を購入したいと思っていたそうです。所狭しと並ぶ傘。なかなか決められません。すると…
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「だんな、やっぱり出世傘だよ」
客:
「これ出世傘っていうの?俺、もう定年だから、そんなに出世しなくてもいいけど(笑)」
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「傘使う人に幸せがくるように、女の人の場合は幸せ、男の場合は出世するように祈りながら作ってる」
迷っていた男性は、北沢さんの「売り文句」が響いたようで男性は傘3本を購入。
客:
「(北沢さんの)傘は80年って書いてあって、私そんなに残りの人生が長くないけど、そんな傘があるのかと思ってきました。これから天気予報も楽しみだね。あした、雨降らないかな」
一時は自分の代で店を閉めようと思っていた北沢さん。店の傘を求めてくれる客、そして息子・良和さんの存在が奮い立たせてくれたと言います。
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「こういう仕事は地味だけどお客さんに喜ばれる。『お母さんが使っていたものを私が使えるわ』とか、ものすごく喜ばれるから、喜びを感じる仕事っていいよ。頑張れよ」
次男・良和さん:
「ありがとうございます」
洋傘職人・北沢良洋さん(89):
「私ももう数えで90歳ですから、あと何年できるかわからないけど、死ぬまで針のめどの通る間は絶対、仕事を続けて。ものづくりっていうのは、命がけでやらないと、本当の味は出てこない。自分の気持ち、愛情、技術、全部そこにぶちこむ。針一本、糸一本かもしれないけど、思いは愛で通っている」
なお、北沢さんによりますと、傘を長持ちさせる方法は「日陰でよく干すこと」「ステッキのようにつかない」「強い風に注意」「回さない」など4つのポイントがあるということです。