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2025年8月14日O.A
「生き地獄だった」原爆投下後の長崎で救援に当たった95歳男性の証言「蚊の鳴くような声で助けてくれ、水くれ…」 80年経っても「夢でうなされる」【戦後80年】
原爆投下後の長崎で救援活動に当たった男性。長野県の旧四賀村(現在は松本市)で村長を務めた中島学さんは、当時15歳の少年航空兵として長崎に赴き、目に映ったものは「生き地獄だった」と振り返る。自らの体験を若い世代に伝えたいという95歳の証言。
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2025年8月15日O.A
遺書に「自由の勝利は明白」敗戦予見し特攻へ…22歳で戦死の上原良司の思いたどる高校生「SNSが人々の分断あおる危険も、二度と戦争を繰り返さない」【戦後80年】
戦後80年。長野県安曇野市で育ち、特攻で戦死した22歳の青年・上原良司。日本の敗北を予見し、自由の尊さを記した「遺書」(所感)を残した。その言葉は今も多くの人を惹きつけている。戦後80年の2025年、後世につなごうと松本地域の高校生が「良司の思い」に向き合った。
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2025年8月13日O.A
「“新型爆弾”が長野に落ちるとデマが」当時13歳の男性(93)が証言 空襲に備え防空壕を必死に掘った日々…終戦2日前に空襲で47人が犠牲に【戦後80年】
8月13日、終戦のわずか2日前に47人が犠牲となった「長野空襲」。それまでにも空襲に備えて建物を取り壊すなど、戦争は市民生活に影を落としていた。終戦の年、13歳だった男性の証言。
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2025年8月7日O.A
「特攻隊」少年兵もここから…96歳が語る“秘密の飛行場” 「赤とんぼ」のプロペラなど次々と新資料が発見 “物言わぬ証言者”次世代へつなぐ「戦争遺跡」【戦後80年】
戦後80年の夏、長野県伊那市に残る戦争の記憶。かつて市内には陸軍の伊那飛行場があり、ここから特攻へと向かった少年兵もいたという。こうした歴史を知らない世代も増える中、当時、建設に携わった男性に話を聞いた。飛行場を巡る新たな発見も相次いでいる。
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2025年8月12日O.A
【戦後80年】中学生が見たヒロシマ「平和への思い固めたい」記憶や教訓の継承が課題の中、若い世代が感じたことは「世界が平和になることが一番」
8月6日の「原爆の日」に合わせ、長野県内の中学生が広島を訪れ、平和記念式典にも参加した。先の大戦の記憶や教訓の継承が課題となる中、若い世代は何を感じたのか。
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NBSフォーカス信州 2025年8月1日放送回「戦後80年 記憶の灯火」
【戦後80年】「今日の聞き手は明日の語り手」若手教師たちの命の授業 薄れゆく原爆の悲劇を次世代へ “ヒバクシャの願いをつなぐ”被爆者・被爆2世から直接体験を聞き取り証言集を作成
「普通のおじいちゃん、おばあちゃんが、教科書で見た体験をその場でしている」御代田中学校の近藤拓也教諭は中学生を前にこう語った。若手教師や医療関係者たちは、長野県内に暮らす被爆者と被爆2世から直接体験を聞き取り、冊子「願いをつなぐ」を作成した。戦後80年。被爆者の高齢化が進む中、彼らの記憶を次世代へつなぐ取り組みが、信州の地で確実に広がっている。
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NBSフォーカス信州 2025年8月1日放送回「戦後80年 記憶の灯火」
【戦後80年】赤と黒に刻んだ“燃える東京”14歳少年が見た大空襲 「忘れられない」友を想い続けた94歳の詩人の記録
14歳の少年の目に焼き付いた東京大空襲の悲惨な光景。「きみは姿を消した きみといっしょに見慣れた帽子も革靴も姿を消した」長野県上田市に住む94歳の詩人、田中清光さんが紡ぐ言葉には、80年前の記憶が生々しく息づいている。赤と黒の不気味な色彩で描かれた絵画には、言葉では表現しきれない戦争の悲惨さが封じ込められていた。半世紀の沈黙を破り、詩と絵で表現された戦争の記憶と、二度と繰り返してはならないという切実な願いとは―。
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2025年4月25日O.A
【戦後80年】幻に終わった地下壕 「本土決戦」に向け「全村動員」で着工もわずか2日で終戦 斜面を平らにした跡が今も 住民の貴重な証言が忘れられた歴史に光
戦後80年「幻の地下壕」。終戦間際、長野市周辺の善光寺平で、いわゆる「松代大本営」など「本土決戦」に向けた準備が急ピッチで進んでいた。山一つ隔てた現在の筑北村坂井地区(当時は坂井村)でも地下壕の建設が計画された。「全村動員」が叫ばれながらも、実質わずか2日間で終わった工事について住民たちの貴重な証言が得られた。
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2025年6月2日O.A
【戦後80年】左手が短い状態で生まれた赤ちゃん…戦争の「後遺症」を伝え続ける報道カメラマン 中村梧郎さん(84)「若い世代に戦争の事実と向き合う機会を」
半世紀前のベトナム戦争で使われた枯れ葉剤の被害を伝え続ける長野県岡谷市出身の報道カメラマンがいる。戦争の「後遺症」を取材し撮影してきたカメラマンは戦後80年の今、そしてこれからも戦争の悲惨さを伝える大切さを訴えている。
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2025年2月6日O.A
【戦後80年】「生きて家族のもとへ」自決前に軍医が沖縄の野戦病院「糸洲の壕」で女学生を逃がし命救う 最後の訓示「絶対に死んではならない。悲惨な戦争の最後を銃後の国民に語り伝えてくれ」
戦後80年・記憶の継承。激戦地となった沖縄に長野県佐久市出身の軍医が最期を迎えた壕がある。軍医は自決する前に「生きて家族のもとへ」と一緒にいた女学生を逃がし結果的に多くの命を救った。このほど、佐久市が壕を見学できるように整備。信州と沖縄をつなぐ戦争の記憶を継承しようとしている。
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2025年4月14日O.A
【戦後80年】「傷はまだ抱えている」集団自決などで8万人の命が…満蒙開拓の悲劇を次世代に語り継ぐ 長野・阿智村の記念館が新企画 「語り部」高齢化で定期講演終了
「戦後80年」記憶の継承。長野県阿智村の満蒙開拓平和記念館では、元開拓団員による講演会が行われてきた。高齢化などで2024年に定期講演は終了したが、記憶を次の世代につなぎたいと2025年4月12日、新たな企画が始まった。元開拓団員の家族が語ったのは、苦い歴史の事実だった。