
「さくら鍋」
2026年の干支は午・信州では各地で馬の肉・馬肉を食べる文化があり、食べ方もさまざまです。一体なぜ広まったのか?馬肉料理の魅力とその謎を取材しました。
■「農耕馬」「軍馬」が身近な存在

「馬刺し」の「赤身」
長野県松本市の馬肉専門店「新三よし」。
新鮮な「馬刺し」はあっさりした「赤身」やコリコリ食感と脂の甘さが味わえる「たてがみ」などが楽しめます。
甘いすき焼き風のタレで煮込む「さくら鍋」も人気です。
馬肉バル新三よし・塩原史弥副店長:
「明治32年から120年以上前から、『割烹三よし』としてやらせていただいている。(現在は)いろんな料理で馬肉を使って、お客さまに楽しんでいただくというコンセプト」

「馬刺し」(さくら刺六種盛 M 4400円 )
店は明治32(1899)年、松本城下で割烹料理店として創業。当時から「馬肉」を提供し、結婚式などのお祝いの席でも利用されてきました。
平成に入ってからは駅前の「バル」に形を変え、今は地元住民はもちろん国の内外の観光客も多く訪れています。
午年の2026年、特別メニューも用意し「馬肉」の魅力を伝えていきたいとしています。
一番人気はやはり「馬刺し」です。
(記者リポート)
「お肉がとってもやわらかいです。あっさりしているんですが、しっかりとうま味が感じられておいしいです」
松本には馬肉を提供する料理店や精肉店が数多くあり名物料理となっています。
しかし、なぜ松本で馬肉?
馬肉バル新三よし・塩原史弥副店長:
「信州自体、昔、農耕馬とか軍馬が地元に根付いていて。高タンパク・低カロリーで、食として根付いていて、南信だったり、松本の方では地元料理としてやらせてもらっている」
塩原副店長が言うように、信州では松本以外でも「馬肉」が名物となっている地域が多くあります。
■「命を大切にいただく」風土も影響

城下町では「軍馬」、農村で「農耕馬」が身近に
いつから広まり食文化として根付いたのでしょうか?
郷土料理や食の歴史に詳しい長野県立大学の中沢弥子教授に話を聞きました。
長野県立大学・中沢弥子教授:
「明治・大正あたりから、結構大きな都市、長野、松本、伊那、飯田あたりではお店があって、肉屋があって、馬肉を売っていたというところがあるという記載がある」
県内の歴史や文化を記した「長野県史」には明治以降、県内のほとんどの地域で馬肉を食べていたという記録が残っています。
一方、その前の江戸時代は、公には肉食が禁じられていた時もあり記録がほとんど残っていません。
こうしたことから中沢教授は「明治から大正にかけて馬肉文化が定着した」と考えています。
信州では松本など城下町では「軍馬」が、農村では「農耕馬」が身近な存在だったことが一因としてあげられますが―。
中沢教授はさらに貴重な栄養源として命を大切にいただく信州の風土も影響しているのではないかと話します。
中沢弥子教授:
「大事に育てていらっしゃったでしょうから、食べるとなると抵抗があったと記載もある。(馬が)命を落とすようなことがあったとき、上手に召し上る。食べ物を無駄にしないと(馬肉の加工が)行われていたというのが根付いていると」

