
地附山地滑り災害から7月26日で40年(7月26日)
26人が死亡した長野市の地附山地滑り災害から7月26日で40年となりました。ふもとでは住民も参加した大規模な訓練が行われ、防災への思いを新たにしました。
26日、長野市の地附山で捧げられた黙祷。関係者が花を手向けた慰霊碑は、特別養護老人ホーム「松寿荘」の跡地に建てられたものです。
一帯を大量の土砂がのみ込んだ大災害から40年がたちました。
(記者リポート)※当時
「電柱が倒れました。山が動き出しています」
1985年7月26日、地附山で発生した地滑り。湯谷団地の住宅など60棟以上が全半壊しました。また、土砂は「松寿荘」にも押し寄せ、入居していたお年寄り26人が犠牲になりました。
長野市ではこの年の梅雨に449.5ミリと平年の2倍の大雨が降っていて、その雨水が地下にたまり地滑りを誘発したとされています。
現場はその後、地下に水がたまらないようにする対策工事などが行われ、「防災メモリアル地附山公園」として整備されました。
26日は、「大雨で大規模な土砂災害が発生した」との想定で、防災訓練が行われました。地附山公園で行われたのは土砂に埋もれた家屋から取り残された人を救助する訓練です。防災ヘリも出動し、連携を確認していました。
ふもとの湯谷小学校で行われたのは、避難所開設の訓練。地域住民も参加し、段ボールベッドや、簡易テントなどの組み立ての手順を確認しました。
訓練に参加した人:
「いざ災害の時にセットできるように訓練があると助かります」
湯谷小学校の体育館は当時、避難所として使われ、多くの地域住民が身を寄せました。
訓練に参加した人:
「(40年前に)ここで避難生活しました。感慨深いです。万が一、不幸に遭遇した時に慌てないで自分のやるべきことをできればいい」
長野市・荻原健司市長:
「地域の住民が積極的に参加してくれたのが防災対応力を高める一番のポイントかなと」
地滑り災害から40年。防災への思いを新たにする機会となりました。