
平林太一さん
3月1日、長野県松本市のキッセイ文化ホールで行われた松本美須々ケ丘高校の卒業式。拍手の中、白杖を手に入場したのはブラインドサッカー日本代表の平林太一さんです。
学校生活と競技に全力投球してきた3年間が終わりました。
平林太一さん:
「自分の一つのチャレンジが終わったというところで、感慨深いものがある。サッカーと勉強と部活も含めて最低限は(両立が)できてたと思うし、本当に周りの支えもあったと思うので、そういう気持ちはすごく持っていたい」
1歳の時に目の病気にかかり、4歳で全盲になった太一さん。小学1年生の時に出会ったブラインドサッカーにのめり込みました。ぐんぐん実力を伸ばし、松本山雅BFCではエースストライカーとして活躍。
平林太一さん(2022年10月):
「これから日本代表入りしてそのチームをまとめていける人になれれば」
高校1年の時に初めて日本代表に選ばれると、2024年夏にはパリパラリンピック代表にも選出。学校で開かれた壮行会では全校を前に力強い宣言をしていました。
平林太一さん(2024年7月):
「俺が日本を勝たせます。メダルを首にかけて戻ってきます」
迎えたパラリンピック本番は、1勝もできず悔しい結果に。世界の壁の高さを感じた一方、次への目標も明確になりました。
平林太一さん(2024年9月):
「メダル取って感謝を伝えたかったので悔しい思いが強い。パラリンピックにまた戻ってメダルを取って応援やサポートしてくれた方に勝利を届けたい」
迎えた卒業の日。パラリンピックの時の全校の声援は、高校生活の中でも印象的な思い出だと言います。
平林太一さん:
「学校をあげて、パラリンピックの時には壮行会を開いてもらったりしていただいたので、一つ一つがみんなが考えている何倍も何十倍も自分の力になったなと」
太一さんは中学まで盲学校で過ごしましたが、視覚に障害があっても他の人と一緒に学校生活が送れることを証明したいと普通科高校に進学しました。
同級生:
「ここ段差ね」
移動の時にそっと肩を貸してくれる仲間たちはかけがえのない存在です。
平林太一さん:
「一般の普通高校に進学するっていうところから一つチャレンジではあったんですけど、障害者の理解を広めるであったりとか、学校生活の中で少しかもしれないですけど、できたかなってところはある。もっとこれから共生社会に向けて、自分で関わっていけるようになっていきたい」
両親はー。
父・道広さん:
「無事に3年間行って、大学も決まったのでよかった」
母・小百合さん:
「周りの方に恵まれて良い高校生活だったんじゃないかと思います。楽しみながら通えていたので」
同級生:
「世界一目指して頑張って」
4月からは早稲田大学に進学し、競技を続ける太一さん。親元を離れ、一人暮らしを始める予定で、新たな挑戦の日々が始まります。
平林太一さん:
「ブラインドサッカーという障害者スポーツをやっていて、スポーツの力というのを今まですごく感じてきている部分はあるので、その力を使って共生社会の実現につなげていけるように学べたらいい」