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満蒙の「語り部」久保田諫さん死去 壮絶な“集団自決”の経験語り「平和」の尊さ訴える 記憶のリレー課題

満蒙開拓団員の語り部がまた一人、この世を去りました。長野県豊丘村の久保田諌さん。壮絶な集団自決の経験を語り、平和の尊さを訴えてきました。

6月5日、93歳で亡くなった久保田諫さん(享年93)。8日、地元の寺でしめやかに葬儀が営まれました。

満州移民を考える会・本島和人さん:
「とても大切な方が亡くなられた。言いようのないものがあります。本当に悲しい思いをしています」

久保田諫さん(2020年取材):
「残念でたまらない。こんなに平和な日本が残っているなら、なんで早く死んでしまったか。悔やしくてたまらない」

久保田さんは元開拓団員。広大な農地に胸を踊らせ14歳の時に、一人で満州に渡りました。

しかし平穏な日々は長く続きませんでした。

翌年の旧ソ連の参戦と日本の敗戦。

土地を追われ、逃避行の中、追い詰められた団員たちは、わが子を、そして仲間を手にかけていきました。

「集団自決」を選んだのです。

久保田諫さん(2020年取材):
「親が(子どもの)首を絞めて、『久保田さん、手伝ってくださいよ』と…」

そして久保田さんも…

久保田諫さん(2020年取材):
「相手の肩に手をかけて殴り、交互に殴り合いを7~8回。だらんと生ぬるい血が垂れてきた。気が遠くなってきて『これで死ねるだろう』と、お互いにコロンと(気絶して)…。数時間たった後にスコールで気がついた」

生き残った久保田さんは捕虜となり、1948年夏に帰国。

長く自責の念にさいなまれましたが、自身の経験を後世に残そうと語り部になりました。

久保田諫さん(2020年取材):
「とにかく戦争のない世の中に。日本だけでなく世界中が戦争のない世界になってくれればいい」

戦後78年。

久保田さんのような満蒙開拓の悲劇を体験した人は年々減少し、記憶のリレーが課題となっています。

満州移民を考える会・本島和人さん:
「(自身の体験を)お話しできる方は本当に限られてきてる。じかに話を聞いた私たちがその言葉をどう受け止めて、次の世代に伝えていくかが大切なことではないか」

満蒙開拓平和記念館・清水可晴 副館長:
「いかに次の世代に歴史を伝えていくか、このことに尽きると思います。久保田諫さんの遺志を継いでやっていきたいな」

久保田さんの戒名は「源拓諫忠信士」。

満州で壮絶な経験をし、晩年は語り部として信念を貫いた生涯を表しています。
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