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甘辛い牛肉と酢飯“小さな発明”「牛ずし弁当」を後世に 85歳が味伝授「無料で作り方教えます」

特集は「味の継承」。長野県須坂市で料亭を営んでいた男性が考案した「牛ずし弁当」。料亭はもうないが、その味は一部の店に受け継がれ、男性は85歳になった今も後世に残す取り組みを続けている。

ショウガと一緒に甘辛く煮込んだ牛肉。

「おいしい」

それを酢飯の上に乗せれば、「牛ずし弁当」の完成だ。

長野市篠ノ井山布施の国道19号線沿いにある「おかあさんの味処 たんぽぽ」。

手作りのおやきや総菜が人気の店だが、予約販売でこの「牛ずし弁当」も作っている。

「弁当」は店のオリジナルではなく、教わったものだ。きっかけは、5年ほど前、社長の小池さんが目にした新聞広告だった。

(新聞広告)
「無料で牛ずし弁当の作り方を教えます」

たんぽぽ・小池峰子社長:
「(教わって作ったら)職員みんな好評で、「いいね」ということになりまして、伝承していければいいなと、やり始めた」

広告を掲載し、作り方を教えたのは長野市の田幸袈佐昭さん(85)。

牛ずし弁当の考案者だ。

牛ずし弁当を考案・田幸袈佐昭さん(85):
「自分の人生の3分の2くらい、牛ずしには関わってきたから何とか残したい」

田幸さんは今も味を伝えたいと年に10回、広告を載せている。

田幸さんはかつて須坂市で料亭を営んでいた。牛ずし弁当は売り上げを伸ばそうと55年ほど前に考え出したものだ。

田幸袈佐昭さん(2009年):
「本業の料理店業がいろんな流れで壁にぶつかってきて、将来性に不安を感じた。仕出し用の大衆向けのお弁当をやれば、売り上げをカバーできるのではと思った」

甘辛い牛肉と酢飯の絶妙な組み合わせ。

試行錯誤の末、生まれた牛ずし弁当は県内外の百貨店などでも販売され、多くの人に親しまれてきた。

2002年、高齢になったため、料亭を閉じ牛ずし弁当の販売もやめたが、復活を望む声を受けて5年後、百貨店などで実演販売をするようになった。

田幸袈佐昭さん(2009年):
「おいしいというお客さんが1人でも2人でも増えてくれるのが私の生きがい。希望みたいなもの」

実演販売に区切りをつけた後は、味を残したいと希望する飲食店などに作り方を伝授。広がりを見せ一時は「駅弁」にもなった。

田幸袈佐昭さん(2015年):
「(教えるのに)別にお金はもらってない。だけどそういうことではなくて、引き継いでもらえればうれしい」

テレビを見ている人にも興味を持ってもらえたらと作り方を披露してくれた。

まず国産牛の切り落としを火が通りやすいように細かく切る。これに千切りのショウガを加え、砂糖と料理酒で煮る。

煮立ったらしょうゆを入れる。

実は牛ずし弁当にレシピは存在しない。

味付けは田幸さんの舌が頼り。出向いて、じかに教えるのはそのためだ。

牛ずし弁当を考案・田幸袈佐昭さん(85):
「(どうですか?)今やってる最中ですから。量ってやるものではない、大さじ小さじと言って。考えてみればいい加減なものですけど。そうしなければ自分の味になってこない」

味見しながら微調整―。

牛ずし弁当を考案・田幸袈佐昭さん(85):
「だいぶ自分の味に近くなってきてる。ある程度、煮込めば煮込むほどうまくなるので、時間をかけるのを惜しんではいけない」

酢飯にも一工夫。

料理酒、砂糖、しょうゆで水分がなくなるまで煮込んだ、みじん切りのシイタケを入れる。

牛ずし弁当を考案・田幸袈佐昭さん(85):
「すし飯がうまくなるように作ってる、個性が出る」

酢飯を敷き詰め、付け合わせに甘らっきょうなどを添える。そこに牛肉を盛りつけたら完成だ。

記者が試食―。

(記者リポート)
「牛肉がほろほろで、絶妙な甘じょっぱさとショウガのピリッとした感じが合っていて、とてもおいしいです」

田幸さんによると現在、牛ずし弁当を作っているのは冒頭で紹介した「たんぽぽ」だけだ。

たんぽぽの小池社長は教えを忠実に守っている。

たんぽぽ・小池峰子社長:
「使うものも変わっていないし、ほとんどその時教わった先生の味を守ってるつもり。これを何グラム入れろとかそういう指導は『先生どのくらい』と言っても『自分の勘でやってけ』ということだったから」

発売からおよそ5年。会議やイベントで注文が入り、好評だという。

たんぽぽ・小池峰子社長:
「(田幸さんは)自信を持って自分のものを引き継いでもらいたい熱意があるので、私たちもその熱意でできるだけやっていきたい」

料理人や飲食店に受け継いでもらいたいと先日も広告を出した田幸さん。85歳になった今も、牛ずし弁当にかける情熱は衰えていない。

牛ずし弁当を考案・田幸袈佐昭さん(85):
「(牛ずしは)私にとっては小さな発明ではないかと思った。私も高齢なので、この牛ずしを残したい。長野市の名物になってもらえばという考え方だけど、引き継いでくれる人がいなければ話にならない。そういう人を1人でも探して、教えて、長野にはこういうものがあるんだと知名度を広げてやっていければ」
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