
特集は、長野市の繁華街・権堂に店を構えるそば店。店主は80歳の女性。夫に先立たれてから一人で店を守り、このコロナ禍に半世紀を迎えた。一度に「20人前」という力強いそば打ちも健在だ。
権堂アーケードの中ほど、老舗映画館の前にその店はある。
ざるそばは、戸隠特有の「ぼっち盛」。(ざるそば750円)
ざるそばを食べた客:
「のどごしもいいし、大変、滑らかにおいしくいただきました」
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん(80):
「はいよ」
釜揚げうどんを注文した客:
「これが釜揚げですか」
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「うまいで~釜揚げは、また」
うどんも手打ちだ。(釜揚げうどん800円)
釜揚げうどんを食べた客:
「僕はここに『おいしいプラス元気』をもらいに来ている(笑)」
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「よく言うわ(笑)」
ここは「手打ちそば処 とがくし」。店主の中川麻子さんが一人で切り盛りしている。権堂に店を構えこの春で53年。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「こんなにできるとは思ってなかったけど、みんなに私もかわいがっていただいて、本当に今がある」
そば打ち歴55年の確かな技と味でコロナ禍を乗り切ろうとしている。
中川さんは旧戸隠村の出身。25歳の時、同郷の文義さんと結婚。そば打ちは、文義さんの母親から習った。
その後、長野市に移るとそば打ちを見込まれ、親戚が営んでいた「丸光百貨店」内のそば店を任された。これが「とがくし」の始まりだ。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「やればいいわと、おもてなか(市街地)に出られることが、どっちかというとうれしい方だから。丸光デパートなんてね、一番のところだったから」
1970年、権堂アーケードにも出店。これが現在も続く店だ。
この出店は、中川さんのそばにほれ込んだ「長野相生座・ロキシー」の社長の支援によるものだった。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「目をかけていただいて、社長に『店をつくってやるから、お前やりなさい』と言われたら、うれしいじゃないですか。権堂という町は、昔からの大御所がいる立派なお店ばかりで、みんなにあいさつをして『よろしくお願いします』と言って、かわいがっていただくようにやってきた」
昭和の権堂は人で溢れていたという。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「ものすごかった、もう人で。本当にすごいとこだなと思った。昼間は丸光やって、夜はここへ来て、お客さまも多いから(夜の)12時、1時までやって、家へ帰って子どもにおっぱいくれたり、もう大変。朝また5時、6時に起きて、そば打って一日も休みがなかった」
そば打ちに子育て…。
夫の文義さんも会社を辞めて店で働くようになり、長野オリンピックまで多忙な日々が続いた。
メニュー表は五輪当時の名残が…。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「英語は他の国でも通用するかなと思って。みんな来れば、おそばはやっぱり信州だから、そばを一番食べるでしょ、満員だった」
オリンピック後、デパートの閉鎖で店は権堂だけに。景気低迷もあってアーケードを訪れる人は減り、経営も厳しさを増していった。
そして「コロナ禍」が追い打ちをかける。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「コロナでダメになっちゃって。権堂も人通らないし、夜も長野県の人は真面目だから、宴会やっちゃいけねえ、飲んじゃいけねえって言われるから、みんなまっすぐ帰る」
不幸は重なり2020年、病気で入院していた夫・文義さんが亡くなった。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「(病院に)行かない日は一日もなかった。最後、コロナで来ないでくださいって言われて、1カ月間、行かなかったんですね。その時に亡くなっちゃった。かわいそうなことしたね、行ってみたら冷たくなってて、泣いてる暇もなく」
客が減っても、夫が亡くなっても、中川さんはそばを打ち続けた。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「普通の人はこの半分くらいで作るんだよ、量は。私はその倍、何回も作るの嫌だから。でかいと難しいんだよ、広げるのが」
一度に打つそばは、なんと20人前!80歳になってもこの力強さだ。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「どのくらいがちょうどいいのか手加減で分かるわけ、薄さが」
戸隠仕込みの手打ちそばが、この日も完成した。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「はいよ」
キノコそばを食べた常連客:
「おそばは単純においしいし、お母さんに会いに来てる感じ。週1くらい顔出せたら」
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「それ以上、来てる」
味もさることながら常連客は、中川さんの人柄に引かれ店に通っている。
鍋焼きうどんを食べた常連客:
「小学校にあがる前、お袋を亡くしている。だからそういう点でいうと、おふくろと話している感覚。頑張ってもらわないと、しょっちゅう来られるわけじゃないけど」
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「気が向いたら来ておくれ」
長野相生座・ロキシー・田上真里支配人:
「こんにちは」
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「きょう晴れて良かったね、いい天気になって良かった」
長野相生座・ロキシーの田上支配人。映画館との付き合いも半世紀を越えた。
長野相生座・ロキシー・田上真里支配人:
「ママを知らない人はいないですよ。ここに『とがくし』があるだけで全然違うと思います。町全体も、うちもそうですけど」
繁華街・権堂と共に歩んできたそば店。中川さんのそば打ちは、これからも続く。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「いらっしゃいませって言って、食べていただいて、笑顔で、おそばを出して、帰っていただく。お客さまに『うまい』って言ってもらえばうれしいじゃないですか、だから頑張りますよ」
権堂アーケードの中ほど、老舗映画館の前にその店はある。
ざるそばは、戸隠特有の「ぼっち盛」。(ざるそば750円)
ざるそばを食べた客:
「のどごしもいいし、大変、滑らかにおいしくいただきました」
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん(80):
「はいよ」
釜揚げうどんを注文した客:
「これが釜揚げですか」
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「うまいで~釜揚げは、また」
うどんも手打ちだ。(釜揚げうどん800円)
釜揚げうどんを食べた客:
「僕はここに『おいしいプラス元気』をもらいに来ている(笑)」
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「よく言うわ(笑)」
ここは「手打ちそば処 とがくし」。店主の中川麻子さんが一人で切り盛りしている。権堂に店を構えこの春で53年。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「こんなにできるとは思ってなかったけど、みんなに私もかわいがっていただいて、本当に今がある」
そば打ち歴55年の確かな技と味でコロナ禍を乗り切ろうとしている。
中川さんは旧戸隠村の出身。25歳の時、同郷の文義さんと結婚。そば打ちは、文義さんの母親から習った。
その後、長野市に移るとそば打ちを見込まれ、親戚が営んでいた「丸光百貨店」内のそば店を任された。これが「とがくし」の始まりだ。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「やればいいわと、おもてなか(市街地)に出られることが、どっちかというとうれしい方だから。丸光デパートなんてね、一番のところだったから」
1970年、権堂アーケードにも出店。これが現在も続く店だ。
この出店は、中川さんのそばにほれ込んだ「長野相生座・ロキシー」の社長の支援によるものだった。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「目をかけていただいて、社長に『店をつくってやるから、お前やりなさい』と言われたら、うれしいじゃないですか。権堂という町は、昔からの大御所がいる立派なお店ばかりで、みんなにあいさつをして『よろしくお願いします』と言って、かわいがっていただくようにやってきた」
昭和の権堂は人で溢れていたという。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「ものすごかった、もう人で。本当にすごいとこだなと思った。昼間は丸光やって、夜はここへ来て、お客さまも多いから(夜の)12時、1時までやって、家へ帰って子どもにおっぱいくれたり、もう大変。朝また5時、6時に起きて、そば打って一日も休みがなかった」
そば打ちに子育て…。
夫の文義さんも会社を辞めて店で働くようになり、長野オリンピックまで多忙な日々が続いた。
メニュー表は五輪当時の名残が…。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「英語は他の国でも通用するかなと思って。みんな来れば、おそばはやっぱり信州だから、そばを一番食べるでしょ、満員だった」
オリンピック後、デパートの閉鎖で店は権堂だけに。景気低迷もあってアーケードを訪れる人は減り、経営も厳しさを増していった。
そして「コロナ禍」が追い打ちをかける。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「コロナでダメになっちゃって。権堂も人通らないし、夜も長野県の人は真面目だから、宴会やっちゃいけねえ、飲んじゃいけねえって言われるから、みんなまっすぐ帰る」
不幸は重なり2020年、病気で入院していた夫・文義さんが亡くなった。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「(病院に)行かない日は一日もなかった。最後、コロナで来ないでくださいって言われて、1カ月間、行かなかったんですね。その時に亡くなっちゃった。かわいそうなことしたね、行ってみたら冷たくなってて、泣いてる暇もなく」
客が減っても、夫が亡くなっても、中川さんはそばを打ち続けた。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「普通の人はこの半分くらいで作るんだよ、量は。私はその倍、何回も作るの嫌だから。でかいと難しいんだよ、広げるのが」
一度に打つそばは、なんと20人前!80歳になってもこの力強さだ。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「どのくらいがちょうどいいのか手加減で分かるわけ、薄さが」
戸隠仕込みの手打ちそばが、この日も完成した。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「はいよ」
キノコそばを食べた常連客:
「おそばは単純においしいし、お母さんに会いに来てる感じ。週1くらい顔出せたら」
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「それ以上、来てる」
味もさることながら常連客は、中川さんの人柄に引かれ店に通っている。
鍋焼きうどんを食べた常連客:
「小学校にあがる前、お袋を亡くしている。だからそういう点でいうと、おふくろと話している感覚。頑張ってもらわないと、しょっちゅう来られるわけじゃないけど」
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「気が向いたら来ておくれ」
長野相生座・ロキシー・田上真里支配人:
「こんにちは」
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「きょう晴れて良かったね、いい天気になって良かった」
長野相生座・ロキシーの田上支配人。映画館との付き合いも半世紀を越えた。
長野相生座・ロキシー・田上真里支配人:
「ママを知らない人はいないですよ。ここに『とがくし』があるだけで全然違うと思います。町全体も、うちもそうですけど」
繁華街・権堂と共に歩んできたそば店。中川さんのそば打ちは、これからも続く。
手打ちそば処 とがくし・中川麻子さん:
「いらっしゃいませって言って、食べていただいて、笑顔で、おそばを出して、帰っていただく。お客さまに『うまい』って言ってもらえばうれしいじゃないですか、だから頑張りますよ」