
長野駅前のそば店の最後の営業です。県内外にファンを持ち、長嶋茂雄さんなどの著名人も訪れた店として知られてきましたが、女性オーナーが閉店を決意。惜しまれつつ、2023年1月25日夜、30年の歴史に幕を下ろしました。
大きな鍋でゆでられる少し太めのそば。冷水でしめて盛り付けたら、名物の「ざるそば」の完成です。
ここは長野市の長野駅善光寺口を出てすぐの「手打ちそば処 戸隠」。その立地から、昼時は地元の人だけでなく、観光や出張の人たちでにぎわいます。
三重から:
「おいしいですね。便利なところなので、いつも寄らせてもらっています」
東京から:
「出張、仕事で毎週ここに寄らせていただいています」
この日はいつもより客が多め。それには訳がありました。
上田から:
「こういう店がなくなっちゃうとさみしいですよね」
1月25日で「閉店」することが決まっていたのです。オーナーの市川栄子さん(78)。30年に渡って切り盛りしてきましたが、6年前に体調を崩して後継者もいないため、店を閉じることにしました。
手打ちそば処 戸隠・市川栄子さん:
「あちこち体も悲鳴を上げているものですから。どうしようもないもんね、こればっかりは、潮時なんじゃないの。(今は)やり抜いたという気持ちだけです」
なつかしい仏閣型駅舎。市川さんは、今と同じ場所にあった夫の両親が営む土産店兼レストラン「桃山」で働いてきました。その両親が亡くなった後、土地を分けてもらい1992年、そば店を立ち上げました。
市川栄子さん:
「もともとがそば好きで、戸隠へよく食べ行っていた。一番親しみやすいのは、そばだった」
そばは「戸隠産」。通っていた戸隠の店でそば打ちを習い、店頭で打ってきました。
市川栄子さん:
「開店して15年くらいは打っていました。もうできない、やりたくてもできない。体が…しょうがないね」
市川さんは前のレストラン時代を含め、50年近く、駅前で働いてきました。
駅舎は仏閣型から近代的な建物へ。1998年の長野オリンピックをはさみ、駅前はこの30年で様変わりしました。
市川栄子さん:
「変わっちゃって、ついていけないくらい変わっていますよね。昔の駅はよかったとかあるけど、それはそれでしょうがない、時代の流れだよね…」
一方、店は変わらぬ味を提供してきました。戸隠から仕入れたそばに添えるのは、ファンが多い「自家製もみじおろし」です。
20年来の常連客:
「もう(店に通って)何十年なの。おそばが大好きなの、私」
閉店する前に味わっておこうと詰めかける客。こちらは20年来の常連です。
20年来の常連客:
「おそばはもちろん、もみじおろしがすごくおいしくて。もっと長くやってもらえたらうれしいけど、(市川さんの)体のことを考えれば仕方ない」
市川栄子さん:
「しょっちゅう友達を連れてきてくれて、1週間に2回は来てくれるからありがたいね」
立地の良さから県外客が多かったのも店の特徴。それを象徴するのが、ずらりと飾られた著名人のサインです。
こちらは特に思い出深い1枚。
市川栄子さん:
「長嶋茂雄さんと小澤征爾さんと偶然ここで会って、その時の記念で書いてもらったサイン」
“ミスタージャイアンツ”長嶋茂雄さんや、信州でもおなじみの世界的指揮者・小澤征爾さんも店でそばを味わいました。
何度も立ち寄ったという長嶋さんは…
市川栄子さん:
「監督やっている最後のころから、長野来ると寄ってくれる。絶対入り口から入ってこないの、裏から入ってくる。このお店に迷惑になるって、そこを歩いてくると目立つでしょ、他の人もみんな入ってきちゃう。それがお店に迷惑だって、裏からこっそり入ってくるんですよ」
長嶋さんは決まって「天ざるそば」と「ざるそば」を注文していたそうです。
市川栄子さん:
「天ざるの大盛にした方がお得ですよって言うんだけど、嫌なんだって」
1月24日、閉店前夜。閉店前夜、かつて「桃山」で働いていた仕事仲間が市川さんをねぎらおうと集まりました。
レストラン時代の仕事仲間:
「若い時の記憶がちょこっとよみがえりますね。母ちゃんが元気でいるから、こうやって集まれる」
「終わっちゃうのかなと思うと寂しい気持ち。みんなゴタばっかだったから、それをまとめてくれるような人だった」
昔話に花が咲く―。
締めは、やはり店の「そば」。
レストラン時代の仕事仲間:
「そばは昔からのタイプだよね。懐かしくておいしいです」
最後に花束が…
レストラン時代の仕事仲間:
「長い間、お疲れさまでした」
市川栄子さん:
「ありがとうございます。閉めるのに花いっぱい来るなんて考えてもいなかったから、ありがたいです」
1月25日の最終日も閉店を聞きつけ多くの客が詰めかけました。こちらは「桃山」の頃から通っていた男性です。
東京から:
「きょう富山の仕事がありまして、閉まるって聞いていたので、途中下車しました。(どれくらい通った?)約四十何年ですかね。長野に来たらここに寄るというのがルーティンになっていたから、ルーティンができないというのは寂しいです」
食べ終わったら、市川さんと記念撮影も―。
市川栄子さん:
「お元気で、どうもありがとうございました。長いこと本当にありがとうございました」
午後10時まで営業予定でしたが、予想以上の客入りで2時間前にそばが完売しました。
市川栄子さん:
「終わったー」
市川栄子さん:
「肩の荷が下りたというか、ほっとしたという方が強い。楽しい思い出もいっぱいあるし、それはね、大事にして、これから少し羽を伸ばします」
店を支えてくれた常連客、忘れられない著名人、そして「母ちゃん」と慕ってくれる昔の仲間。
市川さんはたくさんの思い出を抱え、静かに店を閉めました。
大きな鍋でゆでられる少し太めのそば。冷水でしめて盛り付けたら、名物の「ざるそば」の完成です。
ここは長野市の長野駅善光寺口を出てすぐの「手打ちそば処 戸隠」。その立地から、昼時は地元の人だけでなく、観光や出張の人たちでにぎわいます。
三重から:
「おいしいですね。便利なところなので、いつも寄らせてもらっています」
東京から:
「出張、仕事で毎週ここに寄らせていただいています」
この日はいつもより客が多め。それには訳がありました。
上田から:
「こういう店がなくなっちゃうとさみしいですよね」
1月25日で「閉店」することが決まっていたのです。オーナーの市川栄子さん(78)。30年に渡って切り盛りしてきましたが、6年前に体調を崩して後継者もいないため、店を閉じることにしました。
手打ちそば処 戸隠・市川栄子さん:
「あちこち体も悲鳴を上げているものですから。どうしようもないもんね、こればっかりは、潮時なんじゃないの。(今は)やり抜いたという気持ちだけです」
なつかしい仏閣型駅舎。市川さんは、今と同じ場所にあった夫の両親が営む土産店兼レストラン「桃山」で働いてきました。その両親が亡くなった後、土地を分けてもらい1992年、そば店を立ち上げました。
市川栄子さん:
「もともとがそば好きで、戸隠へよく食べ行っていた。一番親しみやすいのは、そばだった」
そばは「戸隠産」。通っていた戸隠の店でそば打ちを習い、店頭で打ってきました。
市川栄子さん:
「開店して15年くらいは打っていました。もうできない、やりたくてもできない。体が…しょうがないね」
市川さんは前のレストラン時代を含め、50年近く、駅前で働いてきました。
駅舎は仏閣型から近代的な建物へ。1998年の長野オリンピックをはさみ、駅前はこの30年で様変わりしました。
市川栄子さん:
「変わっちゃって、ついていけないくらい変わっていますよね。昔の駅はよかったとかあるけど、それはそれでしょうがない、時代の流れだよね…」
一方、店は変わらぬ味を提供してきました。戸隠から仕入れたそばに添えるのは、ファンが多い「自家製もみじおろし」です。
20年来の常連客:
「もう(店に通って)何十年なの。おそばが大好きなの、私」
閉店する前に味わっておこうと詰めかける客。こちらは20年来の常連です。
20年来の常連客:
「おそばはもちろん、もみじおろしがすごくおいしくて。もっと長くやってもらえたらうれしいけど、(市川さんの)体のことを考えれば仕方ない」
市川栄子さん:
「しょっちゅう友達を連れてきてくれて、1週間に2回は来てくれるからありがたいね」
立地の良さから県外客が多かったのも店の特徴。それを象徴するのが、ずらりと飾られた著名人のサインです。
こちらは特に思い出深い1枚。
市川栄子さん:
「長嶋茂雄さんと小澤征爾さんと偶然ここで会って、その時の記念で書いてもらったサイン」
“ミスタージャイアンツ”長嶋茂雄さんや、信州でもおなじみの世界的指揮者・小澤征爾さんも店でそばを味わいました。
何度も立ち寄ったという長嶋さんは…
市川栄子さん:
「監督やっている最後のころから、長野来ると寄ってくれる。絶対入り口から入ってこないの、裏から入ってくる。このお店に迷惑になるって、そこを歩いてくると目立つでしょ、他の人もみんな入ってきちゃう。それがお店に迷惑だって、裏からこっそり入ってくるんですよ」
長嶋さんは決まって「天ざるそば」と「ざるそば」を注文していたそうです。
市川栄子さん:
「天ざるの大盛にした方がお得ですよって言うんだけど、嫌なんだって」
1月24日、閉店前夜。閉店前夜、かつて「桃山」で働いていた仕事仲間が市川さんをねぎらおうと集まりました。
レストラン時代の仕事仲間:
「若い時の記憶がちょこっとよみがえりますね。母ちゃんが元気でいるから、こうやって集まれる」
「終わっちゃうのかなと思うと寂しい気持ち。みんなゴタばっかだったから、それをまとめてくれるような人だった」
昔話に花が咲く―。
締めは、やはり店の「そば」。
レストラン時代の仕事仲間:
「そばは昔からのタイプだよね。懐かしくておいしいです」
最後に花束が…
レストラン時代の仕事仲間:
「長い間、お疲れさまでした」
市川栄子さん:
「ありがとうございます。閉めるのに花いっぱい来るなんて考えてもいなかったから、ありがたいです」
1月25日の最終日も閉店を聞きつけ多くの客が詰めかけました。こちらは「桃山」の頃から通っていた男性です。
東京から:
「きょう富山の仕事がありまして、閉まるって聞いていたので、途中下車しました。(どれくらい通った?)約四十何年ですかね。長野に来たらここに寄るというのがルーティンになっていたから、ルーティンができないというのは寂しいです」
食べ終わったら、市川さんと記念撮影も―。
市川栄子さん:
「お元気で、どうもありがとうございました。長いこと本当にありがとうございました」
午後10時まで営業予定でしたが、予想以上の客入りで2時間前にそばが完売しました。
市川栄子さん:
「終わったー」
市川栄子さん:
「肩の荷が下りたというか、ほっとしたという方が強い。楽しい思い出もいっぱいあるし、それはね、大事にして、これから少し羽を伸ばします」
店を支えてくれた常連客、忘れられない著名人、そして「母ちゃん」と慕ってくれる昔の仲間。
市川さんはたくさんの思い出を抱え、静かに店を閉めました。