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パリ五輪目指すMTB小林あか里選手 苦悩乗り越え…オリンピアンの母・可奈子さんと二人三脚  

マウンテンバイクの女子選手です。母は同じ競技の元オリンピック選手で、その背中を追いながら2年後のパリオリンピック出場をめざしています。母と娘、二人三脚の練習を取材しました。

林間コースを勢いよく下っていくマウンテンバイク。長野県安曇野市の小林あか里選手(21)です。(弱虫ペダルサイクリングチーム所属)

母・可奈子さん:
「できるだけ回転を止めない。バランスとってるから止まっているよね、これもったいない。そこで加速!」

アドバイスを送る母・可奈子さん(52)。実は、長く日本のマウンテンバイク界を引っ張ってきた名選手。1996年のアトランタオリンピックに出場し、レース中に腰を痛めながらも23位で完走しました。

練習中は「コーチと選手」の師弟関係ですが…

小林あか里さん:
「口数が多いんで母親」

母・可奈子さん:
「言う?それ(笑)」

小林あか里さん:
「(母が)口数多いんで一緒にいると私しゃべらない。だから私、静かな人だと思われているが、最近は一緒にいないので、(周りから)『意外としゃべる、うるさいね』と。もとから私はうるさいです、ただ母親以上ではないです」

あか里さんは若手の注目株。11月の全日本選手権では悪天候の中、転倒して前歯を折りながらもみごと、優勝しました。

オリンピアンの母を持つ娘。その関係はプレッシャーにもなり、原動力にもなりました。

小林あか里さん:
「(母は)ずっとライバルだと思っていたので、ずっと抜かしたいなと思っていて、ずっと追いつきたいなと…」

母の背中を追い、自分も「同じ舞台」に…。あか里さんの目標は2年後のパリオリンピック出場です。

アトランタ大会の5年後、両親ともマウンテンバイクの選手という家庭に生まれたあか里さん。いつの間にか自転車にまたがっていました。6歳の頃には階段をちゅうちょなく下るほどの腕前に。ただ、本心は…

小林あか里さん:
「『なんで私こんな自転車なんてやっているんだろう』とずっと思っていた。母親と2人で行くとかいうときは、本当に嫌で山の途中で置いてかれるんですよ。それで途中で1人で帰ったりしたり」

母・可奈子さん:
「楽しんでいると思っていた、願っていた、期待していた。ずるいんですよ、21歳になってから『あの時はああだった』『やっぱり楽しくなかった』そんなこと言われてもね。そん時に言ってくれなかったら」

転機が訪れたのは高校2年生のときでした。妹・はる香さんが「急性リンパ性白血病」を患い1年近く入院。あか里さんは自分を見つめ直しました。

小林あか里さん:
「妹が病院で苦しんでいるのを見て、私が今できることと言ったら、この自転車で全力でやってみようと頑張ったら、初めての国際大会で表彰台に乗れたので、それがすごくうれしくて自信にもなって、私はこの競技で世界を目指したいと」

次第に力がつくと海外のコーチの目にもとまり、各国の猛者たちが集うスイスの合宿所に拠点を移しました。しかし、ここで初めて挫折を経験します。

小林あか里さん:
「U23の一個上のカテゴリーに上がって、プロとして走っている選手もいる中で、今までの自分の走りがまったく歯が立たなくて…すごくそこは苦しかったなと」

母・可奈子さん:
「すごくつらかったと思う。『死にたい』としか言わなかったし、自転車なんかやめてもいい、ただ生きてほしいと。ただそれをどういうふうに伝えるか…私も苦しかったですね」

苦悩する2人。あか里さんが立ち直ったのは、整体師の何気ない一言でした。

小林あか里さん:
「『もっと自転車楽しめばいいのに』っていうふうに言われて、自転車をレースに出るためのものだなと思っていたなと。こんなに楽しかったんだと気づいて、国際大会でも優勝できて、私はこの自転車が本当に楽しめているんだなと気づけました」

その気づきは母・可奈子さんにも変化を促しました。

母・可奈子さん:
「私がいつまでも選手のつもりでいたら、それは歩み寄れないよなと。そこから私も変わったし、あか里も少しずつ私にも話をしてくれるようになったもんね。私がいけなかったのかもしれない、2人でなんとかなると縛ってたのかもしれない」

あか里さんの強みは、下りのスキルの高さです。

小林あか里さん:
「技術が求められる難易度の高いコースはすごく得意。怖さも『楽しい』とレース中は思えるので」

日本に戻った2022年は、アンダー23のワールカップで10位。さらにアジア選手権、全日本選手権では優勝を飾りました。パリ行きの切符をつかむには、2023年のアジア選手権で優勝する必要があります。

この日は体力強化のためロードワークへ。先導する可奈子さんの原付バイクに自転車でついていきます。折り返し地点は安曇野市の自宅から40キロほど離れた長野市信州新町です。到着すると―。

母・可奈子さん:
「こんにちは」

店員:
「おめでとう」

母・可奈子さん:
「チャンピオンになったのはいいんだけど、顔から転んで歯が折れた」

立ち寄ったのは、お気に入りの和菓子店。

小林あか里さん:
「これが優勝の秘けつです(笑)。アンズが1個ゴロンと入っている。うーん!!おいしい!」

母・可奈子さん:
「もう二皮ぐらいむけないと厳しいかなというのはあります。パワーや年齢で積み上げたキャリアはエリート(上のカテゴリー)の選手の方が少し上。そこに勝つためには今からきちんと積み重ねる」

母も立ったオリンピックの舞台へ。ペダルをひとこぎ、ひとこぎ…あか里さんのマウンテンバイクが加速していきます。

小林あか里さん:
「ずっとこの母親、嫌だなと心のどこかで思っていて、でも最近になってオリンピアンが母親で良かったなと思うし、自分が五輪に行ってメダルを取ったら一番喜んでくれるのは家族だろうなと。そのためにも五輪でメダルをとるという目標は、絶対に曲げずに頑張っていきたい」
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