
以前、紹介した老舗理容店を継いだ若者の「その後」です。父を早くに亡くし5代目となった21歳。形見のハサミを手にこのほど、目標にしていた理容師の全国大会に出場。結果を墓前に報告しました。
長野県安曇野市の理容師・尾形烈弥さん(21)。10月18日夕方、トロフィーを持って向かったのは、先祖代々の墓です。
髪工房オガタ 5代目・尾形烈弥さん:
「きょうの朝8時くらいに秋田出て、今さっき着いたばかり」
秋田で開催された「全国大会」の翌日、真っ先に結果を報告したのは墓に眠る父でした。
烈弥さんは市内の「髪工房オガタ」の5代目。使っているハサミは烈弥さんにとって特別なものです。
5代目・尾形烈弥さん:
「形見のハサミを使って、亡くなってしまった父と一緒に仕事したり、大会に出ているようなものと」
中学・高校と野球に打ちこんだ列弥さん。いつしかグローブ職人になることが将来の夢となっていました。父・淳介さんはそうした烈弥さんを見守ってきました。
5代目・尾形烈弥さん:
「家族4人でグローブを買いに行ったのが最後だったので、野球関係の思い出も強いし、(父は)優しかった印象が強い」
しかし、高校1年の冬、淳介さんは突如、この世を去りました。(享年48)
母・利栄さん:
「突然のことだったので、その時はこの家、どうなっちゃうんだろうという感じだったので」
早すぎる父親の死と店のピンチ。戸惑いながらも烈弥さんは店を継ぐ決意をします。
5代目・尾形烈弥さん:
「本当に急だったのでなかなか苦しいものもあったり、今でも受け入れられないところはあるけど…。でも親が亡くなってしまったので、それなら俺が継ぐしかないという思いから理容師に」
高校卒業後、松本市の専門学校へ。初めは指を切ったり、丸刈りだったため、ドライヤーも使ったことがなかったりと苦労の連続でした。それでも帰宅後も練習を重ね、卒業時には「理事長賞」を贈られる腕前になっていました。
2022年4月から店に立ち、すっかり5代目の顔に。
祖父・仁さん(78):
「(店は)私で終わりかなと思ったけど葬式の時に一言…お父さんと(店を継ぐ)約束してくれてありがたい」
営業が終わった後も列弥さんは店に残り、「全国理容競技大会」に向けた練習を重ねてきました。良い成績を収めることが家族を、そして亡き父を安心させることにつながると考えていました。
5代目・尾形烈弥さん:
「目指すとしたら優勝しかないので、このハサミを使いお父さんも大会に出てたので、少しでもその力を借りて全国大会頑張れたらと思います」
練習は連日、深夜まで続いた…
迎えた本番。10月17日、秋田県・全国理容競技大会―。
烈弥さんは23歳未満の若手がカットとスタイリングを競う部門に出場。形見のハサミを手に力を出し切りました。
結果は…
アナウンス:
「第2位は、長野県代表、尾形烈弥さん」
烈弥さんは準優勝。県勢の優勝はいまだなく、準優勝は昭和38年・1963年以来、実に59年ぶりです。
5代目・尾形烈弥さん:
「初めて表彰台立ててすごいうれしいけど、まだまだ課題点はあって、後悔する部分もあるのでそこを直していきたいな」
翌日、秋田から戻ると真っ先に烈弥さんは墓前に報告しました。
5代目・尾形烈弥さん:
「あと一歩届かなくてすごい悔しいけど、今度こそ日本一になって帰ってくると思いを伝えた」
淳介さんが好きだった、たばこを供える…
5代目・尾形烈弥さん:
「(父は)『十分だろう』と言いつつも『来年に向けてまた今から頑張ろう』と言ってくれると思うので、今度は優勝を持ってこられるようにやりたいな」
店に戻ると3代目の祖父・仁さんに報告。
5代目・尾形烈弥さん:
「せっかくだから(トロフィーを)持ってもらえば」
祖父・仁さん(78):
「いやーおめでとう、よかった。毎日練習したかいがあった」
5代目・尾形烈弥さん:
「またもう一回これ持ってくるで、頑張るわ」
秋田で応援した母・利栄さんは…
母・利栄さん:
「道具は主人のものだったり、(ハサミの)研ぎをおじいちゃんがやってくれたり、家族みんなで支えるところは支えあって、本人頑張っているので、とても輝いていました」
老舗の5代目として店に立ち、競技会にも意欲をみせる烈弥さん。形見のハサミを手に腕を磨く日々が続きます。
5代目・尾形烈弥さん:
「親が力を貸してくれたおかげでここまでこられたので、また来年まで同じハサミを使って同じ道具で一緒に頑張りたいな」
長野県安曇野市の理容師・尾形烈弥さん(21)。10月18日夕方、トロフィーを持って向かったのは、先祖代々の墓です。
髪工房オガタ 5代目・尾形烈弥さん:
「きょうの朝8時くらいに秋田出て、今さっき着いたばかり」
秋田で開催された「全国大会」の翌日、真っ先に結果を報告したのは墓に眠る父でした。
烈弥さんは市内の「髪工房オガタ」の5代目。使っているハサミは烈弥さんにとって特別なものです。
5代目・尾形烈弥さん:
「形見のハサミを使って、亡くなってしまった父と一緒に仕事したり、大会に出ているようなものと」
中学・高校と野球に打ちこんだ列弥さん。いつしかグローブ職人になることが将来の夢となっていました。父・淳介さんはそうした烈弥さんを見守ってきました。
5代目・尾形烈弥さん:
「家族4人でグローブを買いに行ったのが最後だったので、野球関係の思い出も強いし、(父は)優しかった印象が強い」
しかし、高校1年の冬、淳介さんは突如、この世を去りました。(享年48)
母・利栄さん:
「突然のことだったので、その時はこの家、どうなっちゃうんだろうという感じだったので」
早すぎる父親の死と店のピンチ。戸惑いながらも烈弥さんは店を継ぐ決意をします。
5代目・尾形烈弥さん:
「本当に急だったのでなかなか苦しいものもあったり、今でも受け入れられないところはあるけど…。でも親が亡くなってしまったので、それなら俺が継ぐしかないという思いから理容師に」
高校卒業後、松本市の専門学校へ。初めは指を切ったり、丸刈りだったため、ドライヤーも使ったことがなかったりと苦労の連続でした。それでも帰宅後も練習を重ね、卒業時には「理事長賞」を贈られる腕前になっていました。
2022年4月から店に立ち、すっかり5代目の顔に。
祖父・仁さん(78):
「(店は)私で終わりかなと思ったけど葬式の時に一言…お父さんと(店を継ぐ)約束してくれてありがたい」
営業が終わった後も列弥さんは店に残り、「全国理容競技大会」に向けた練習を重ねてきました。良い成績を収めることが家族を、そして亡き父を安心させることにつながると考えていました。
5代目・尾形烈弥さん:
「目指すとしたら優勝しかないので、このハサミを使いお父さんも大会に出てたので、少しでもその力を借りて全国大会頑張れたらと思います」
練習は連日、深夜まで続いた…
迎えた本番。10月17日、秋田県・全国理容競技大会―。
烈弥さんは23歳未満の若手がカットとスタイリングを競う部門に出場。形見のハサミを手に力を出し切りました。
結果は…
アナウンス:
「第2位は、長野県代表、尾形烈弥さん」
烈弥さんは準優勝。県勢の優勝はいまだなく、準優勝は昭和38年・1963年以来、実に59年ぶりです。
5代目・尾形烈弥さん:
「初めて表彰台立ててすごいうれしいけど、まだまだ課題点はあって、後悔する部分もあるのでそこを直していきたいな」
翌日、秋田から戻ると真っ先に烈弥さんは墓前に報告しました。
5代目・尾形烈弥さん:
「あと一歩届かなくてすごい悔しいけど、今度こそ日本一になって帰ってくると思いを伝えた」
淳介さんが好きだった、たばこを供える…
5代目・尾形烈弥さん:
「(父は)『十分だろう』と言いつつも『来年に向けてまた今から頑張ろう』と言ってくれると思うので、今度は優勝を持ってこられるようにやりたいな」
店に戻ると3代目の祖父・仁さんに報告。
5代目・尾形烈弥さん:
「せっかくだから(トロフィーを)持ってもらえば」
祖父・仁さん(78):
「いやーおめでとう、よかった。毎日練習したかいがあった」
5代目・尾形烈弥さん:
「またもう一回これ持ってくるで、頑張るわ」
秋田で応援した母・利栄さんは…
母・利栄さん:
「道具は主人のものだったり、(ハサミの)研ぎをおじいちゃんがやってくれたり、家族みんなで支えるところは支えあって、本人頑張っているので、とても輝いていました」
老舗の5代目として店に立ち、競技会にも意欲をみせる烈弥さん。形見のハサミを手に腕を磨く日々が続きます。
5代目・尾形烈弥さん:
「親が力を貸してくれたおかげでここまでこられたので、また来年まで同じハサミを使って同じ道具で一緒に頑張りたいな」