
AC長野パルセイロの名物サポーターの女性です。年齢は93歳。「総監督」と呼ばれ、仲間から慕われています。夫を亡くしてぼうぜんとしていた時期にサッカーと出合い、以来、エールを送り続けています。
7月10日行われたAC長野パルセイロのホームゲーム。スタンドはオレンジ色に染まりました。タオルを回して選手を鼓舞するサポーターの中に、長野市の林久美子さんの姿がありました。年齢は93歳。
林久美子さん(93):
「スポーツやってる人はすてきだなと、自然とのめり込んでいった。極端にこの人が好きというよりも、みんな好き。みんなかわいい、かわいいって感じで見てる」
林さんはホームゲームに必ず駆け付ける名物サポーターでちょっとした有名人。周囲からは…
パルセイロサポーター:
「総監督」
サポーターとなって15年。応援は林さんの生活に彩りを添え、今や生きがいとなっています。
林久美子さん:
「『みんな頑張れよ!』って感じでね」
7月2日のSC相模原とのアウェーゲームは自宅でテレビ観戦。新型コロナが拡大する前はアウェーも足を運んでいましたが、今は自宅からエールを送ります。一緒に見守るのは三男の光彦さん(63)。林さんがサポーターになったのは、光彦さんが試合に連れ出したのがきっかけです。
三男・光彦さん:
「父が他界した時に母が宙ぶらりんになって、10年間、介護をしたので。日々ぼーっとしている感じで、これはって」
新聞配達の店を営んでいた夫の竹男さんは25年前、脳内出血で倒れました。林さんはその後10年、介護を続け竹男さんを看取りました。介護生活が終わり、ぼうぜんとした様子の母を心配した光彦さん。2007年の「信州ダービー」に連れ出します。
三男・光彦さん:
「自分が一番夢中になってるプロスポーツ観戦にとにかく引っ張り出そう。最初はほんと、嫌々でしたね」
林久美子さん:
「足で球蹴るなんて、何が面白いんかなってはじめは思ってました(笑)」
最初は乗り気でなかった林さんでしたが、試合の度に、勝利の喜び・敗戦の悔しさを味わい、気が付けば応援に夢中になっていました。
夫のサポーターからパルセイロのサポーターへ。生活に張り合いが戻りました。
林久美子さん:
「何か自分で応援してるものがあるって楽しい。自分で誇りに思うなんて大げさだけど、うれしい」
この日の試合は、前半に2点を重ねたパルセイロが1点差を守りきって勝利を収めました。
林久美子さん:
「よかった~。やったあ」
10日のFC今治戦は、3試合ぶりのホームゲーム。会場の長野Uスタジアムに到着すると、林さんは多くのサポーターから声を掛けられていました。
サポーター:
「『総監督』に任せれば、きょうは大丈夫」
「薩川監督(JFL当時の監督)がいた頃から、監督は薩川さんで、もう『総監督』だから、薩川さんも頭が上がらない」
林さんを「総監督」と最初に呼んだのは、チームをJFL昇格に導いた当時の薩川了洋監督。次第に選手の間でも知られるようになりました。
OBの大橋良隆さん。選手時代から交流が続いています。
パルセイロOB・大橋良隆さん:
「旧南長野の時からなので選手時代からずっと。『パルセイロの母』じゃないですか。どんな時でもスタジアムに来て応援してくれて、後押しをしてくれるっていうのは。こういう方がいるのが、長野パルセイロの良さだと思うのでありがたい」
林久美子さん:
「うれしい、そんなこと言ってくれて」
スタンド席でも多くのサポーターが林さんのもとへ…。
林久美子さん:
「人に会うのが楽しみで、この年になると次の試合まで元気でいられるかなとか。結構向こうも話しかけてくれるし、いいおばあさんを相手にしてくれて楽しいな」
試合が始まりました。以前はゴール裏で立ちっぱなしで応援していましたが、今はバックスタンドから見守ります。
前半42分、今治のコーナーキックから失点します。今シーズン、パルセイロは先制を許す展開が続いています。
林久美子さん:
「なかなかこっちに(先制点)入らない…」
後半19分、パルセイロのコーナーキック。ディフェンダーの池ケ谷選手がこぼれ球を頭で押し込み同点。沸き立つパルセイロサポーター。
林さんも「追加点を」と応援しましたが、試合は引き分けに終わりました。
林久美子さん:
「まあまあ、勝ちたかったけど、引き分けただけよかった。(パルセイロには今後どうなってほしい?)欲を言えば、上(J2)に上がってほしいですね。(林さんにとってパルセイロは?)私の生きがいかね」
三男・光彦さん:
「歩ける限り、あるいはホーム戦でもう歩けなくなっても車いすに乗っけてでも、パルセイロの行く末を見守ってもらいたいな」
林久美子さん:
「車いすはちょっと(笑)。足が動くうちは何とか頑張っていきたい」
三男・光彦さん:
「いつまでも元気でね」
林久美子さん:
「はい、ありがとう」
林さんは、パルセイロの昇格を願って、これからも熱いエールを送ります。
7月10日行われたAC長野パルセイロのホームゲーム。スタンドはオレンジ色に染まりました。タオルを回して選手を鼓舞するサポーターの中に、長野市の林久美子さんの姿がありました。年齢は93歳。
林久美子さん(93):
「スポーツやってる人はすてきだなと、自然とのめり込んでいった。極端にこの人が好きというよりも、みんな好き。みんなかわいい、かわいいって感じで見てる」
林さんはホームゲームに必ず駆け付ける名物サポーターでちょっとした有名人。周囲からは…
パルセイロサポーター:
「総監督」
サポーターとなって15年。応援は林さんの生活に彩りを添え、今や生きがいとなっています。
林久美子さん:
「『みんな頑張れよ!』って感じでね」
7月2日のSC相模原とのアウェーゲームは自宅でテレビ観戦。新型コロナが拡大する前はアウェーも足を運んでいましたが、今は自宅からエールを送ります。一緒に見守るのは三男の光彦さん(63)。林さんがサポーターになったのは、光彦さんが試合に連れ出したのがきっかけです。
三男・光彦さん:
「父が他界した時に母が宙ぶらりんになって、10年間、介護をしたので。日々ぼーっとしている感じで、これはって」
新聞配達の店を営んでいた夫の竹男さんは25年前、脳内出血で倒れました。林さんはその後10年、介護を続け竹男さんを看取りました。介護生活が終わり、ぼうぜんとした様子の母を心配した光彦さん。2007年の「信州ダービー」に連れ出します。
三男・光彦さん:
「自分が一番夢中になってるプロスポーツ観戦にとにかく引っ張り出そう。最初はほんと、嫌々でしたね」
林久美子さん:
「足で球蹴るなんて、何が面白いんかなってはじめは思ってました(笑)」
最初は乗り気でなかった林さんでしたが、試合の度に、勝利の喜び・敗戦の悔しさを味わい、気が付けば応援に夢中になっていました。
夫のサポーターからパルセイロのサポーターへ。生活に張り合いが戻りました。
林久美子さん:
「何か自分で応援してるものがあるって楽しい。自分で誇りに思うなんて大げさだけど、うれしい」
この日の試合は、前半に2点を重ねたパルセイロが1点差を守りきって勝利を収めました。
林久美子さん:
「よかった~。やったあ」
10日のFC今治戦は、3試合ぶりのホームゲーム。会場の長野Uスタジアムに到着すると、林さんは多くのサポーターから声を掛けられていました。
サポーター:
「『総監督』に任せれば、きょうは大丈夫」
「薩川監督(JFL当時の監督)がいた頃から、監督は薩川さんで、もう『総監督』だから、薩川さんも頭が上がらない」
林さんを「総監督」と最初に呼んだのは、チームをJFL昇格に導いた当時の薩川了洋監督。次第に選手の間でも知られるようになりました。
OBの大橋良隆さん。選手時代から交流が続いています。
パルセイロOB・大橋良隆さん:
「旧南長野の時からなので選手時代からずっと。『パルセイロの母』じゃないですか。どんな時でもスタジアムに来て応援してくれて、後押しをしてくれるっていうのは。こういう方がいるのが、長野パルセイロの良さだと思うのでありがたい」
林久美子さん:
「うれしい、そんなこと言ってくれて」
スタンド席でも多くのサポーターが林さんのもとへ…。
林久美子さん:
「人に会うのが楽しみで、この年になると次の試合まで元気でいられるかなとか。結構向こうも話しかけてくれるし、いいおばあさんを相手にしてくれて楽しいな」
試合が始まりました。以前はゴール裏で立ちっぱなしで応援していましたが、今はバックスタンドから見守ります。
前半42分、今治のコーナーキックから失点します。今シーズン、パルセイロは先制を許す展開が続いています。
林久美子さん:
「なかなかこっちに(先制点)入らない…」
後半19分、パルセイロのコーナーキック。ディフェンダーの池ケ谷選手がこぼれ球を頭で押し込み同点。沸き立つパルセイロサポーター。
林さんも「追加点を」と応援しましたが、試合は引き分けに終わりました。
林久美子さん:
「まあまあ、勝ちたかったけど、引き分けただけよかった。(パルセイロには今後どうなってほしい?)欲を言えば、上(J2)に上がってほしいですね。(林さんにとってパルセイロは?)私の生きがいかね」
三男・光彦さん:
「歩ける限り、あるいはホーム戦でもう歩けなくなっても車いすに乗っけてでも、パルセイロの行く末を見守ってもらいたいな」
林久美子さん:
「車いすはちょっと(笑)。足が動くうちは何とか頑張っていきたい」
三男・光彦さん:
「いつまでも元気でね」
林久美子さん:
「はい、ありがとう」
林さんは、パルセイロの昇格を願って、これからも熱いエールを送ります。